福井栄一コラム 「アートおもしろ草紙」 2002
上方文化評論家 / 福井栄一


アートおもしろ草紙(2002年12月)   「 忠臣蔵の不思議」

 師走ともなると、劇場もブラウン管(最近は液晶画面か)も「忠臣蔵」一色となる。1702年12月14日夜、大石良雄以下47名の赤穂浪人は亡君・浅野内匠頭の仇 を討つべく本所の吉良上野介邸へ討ち入り本懐を遂げた。「開闢以来の痛快事」「武 士の鑑よ」と江戸っ子の快哉を浴びた事件であったが、冷静にみると素朴な疑問が浮 かんでくる。まず、内匠頭がし損じたことへの非難が無いこと。江戸時代、殿中での刃傷沙汰は 実はこれが初めてではなかったが、それまでのケースでは何れも相手は死に至った。 内匠頭が上野介を松の廊下で一刀の下に切り捨てて居れば、47名は死なずに済んだ であろう。次は討ち入りの手口である。長期間にわたる諜報活動で家屋敷の間取りまで調べ上 げ、夜中の3時(!)に徒党を組んで押し入るのが果たして「武士の鑑」なのか「集 団テロ」なのか、評価は難しいと言えまいかこの様な疑問をよそに、地元・兵庫県では、12月14日に赤穂義士祭が行われる。





アートおもしろ草紙(2002年11月)   「文化の日に始まったドラマ」

  1946年11月3日の日本国憲法公布を記念して、1948年から11月3日は 「文化の日」となった。それを遡ること22年、日本のアニメ文化のパイオニア・手塚治虫が1926年の この日に生まれている。「医者か漫画家か」という風変わりな人生の選択に悩む息子 を漫画家の道へと進ませたのは母親の後押しであった。彼女の助言がなければ「鉄腕 アトム」も「ジャングル大帝」も世界になく、代わりに日本の医学者が一人増えただ けで終わっていたかも知れない。母は強し。複数の場面を時空を超越して併置・描写 する絵巻物の技法は、遠近法と時間軸の呪 縛から逃れられない西欧の画家連中を驚愕させたが、こうした絵画的伝統ゆえに日本 のアニメは今日の隆盛をみたのだろう。 「鳥獣戯画」に見られる闊達さや大胆な空間処理に対抗し得る猛者を西欧の美術界 で捜すとすれば、エル グレコとダリくらいのものであろうか。





アートおもしろ草紙(2002年10月)   「 回らぬ首に何を巻く」

十月一日は、日本で初めてネクタイを製造(一八八四年)した小山梅吉の業績を称 えて「ネクタイの日」とされている。帽子製造業者であった彼は、舶来のネクタイを 研究した上で、女性の着物の帯地で国産ネクタイ第一号を作ったという。世界的なファッションアイテムなのに、その起源は判然としない。「ローマの弁士 が街頭演説の際、大事な喉を守るために巻いた布がルーツ」「洒落者のルイ十四世が 始めた」などなど。永らく当たり前の様に男の胸元を飾ってきたネクタイだが、この数十年は社会的論 議の的だ。環境団体は、冷房代節約のためノーネクタイを称揚する。他方、ノーネク タイの地方議員は守旧派により議会への入場を拒否され、ノーネクタイで出社した新 人類は保守的な上司と衝突する。挙げ句、汚職で検挙された高級官僚が自殺するのに もネクタイが使われる始末。小山氏もあの世でさぞや当惑して居られるに違いない。






アートおもしろ草紙(2002年9月)   「 菊の宴 」

今日でこそ雛祭りや七夕ほどの知名度は無いが、重陽の節句(九月九日)は特に平 安時代には五節句の一として重要な年中行事であった。観菊の宴が催され、人々は菊 の花弁を浮かべた酒を飲んで長寿を願った。菊に不老不死を看る思想は、能「菊慈童」 (観世流以外では「枕慈童」)によく顕れている。魏の時代。文帝の勅使が霊水を求めて山野を彷徨するうち、不思議な童子に出会っ た。彼は周の王の侍童で、王の枕を跨ぎ逆鱗に触れ配流の身となったが、山中の菊の 露を飲み七百年以上も少年のままであったという。ただ、この侍童、肉体こそ菊の霊力で少年のままであったにせよ、その精神までも 初々しくあり続けたのか定かでない。寧ろ、精神だけが加齢して七百年生き永らえて きたのだとしたら、これ以上の拷問は無かろう。ドラキュラは美女の生き血を、侍童は菊の露を吸って永遠の命を得る。東西の文化 圏の美学の違いが如実に現れていて、興趣が尽きない。







アートおもしろ草紙(2002年8月)   「 英雄狂騒曲 」

 余の辞書に不可能という文字はない」で知られるナポレオンは、一七六九年八月 にコルシカ島で生を享けた。五十一年間の劇的な生涯は軍事・政治の傑物としての伝 説に満ちているが、作曲家ベートーヴェンとの逸話も有名だ。  彼はウィーン在住のフランス公使の薦めもあり、自由の戦士ナポレオンに献呈すべ く新作交響曲の創作に手を染めた。ついに完成した清書スコアの表紙には既に「ボナ パルトへ」と書かれていたが、ナポレオンの皇帝即位の報を知るや失望し激怒して 「ある英雄の想い出に」と献辞を書き直して発表した。これが、交響曲第三番「英雄」 である。  ただ、この経緯を「二人の英雄の邂逅と訣別 」と捉えるのは感心しない。音楽の無 邪気な天才が政治の妖怪に一方的に懸想し、挙げ句「裏切られた」と騒いだだけのこ とだろう。 何かと不透明なこの時代。英雄待望論の不気味な高揚を目の当たりにしても、現代 音楽の作曲家たちの食指は動かないのか。









アートおもしろ草紙(2002年7月)   「 美を灼く」

 一九五〇(昭和二十五)年七月、国宝・鹿苑寺金閣(京都市)が焼亡した。同寺の 青年が金箔貼りの三層楼閣に放火、火災報知器の故障という不幸も重なって敢えなく 全焼した。あまりの美しさを妬んでの犯行とされるが青年の真意は分からない。金閣寺と聞くと、多くの人は三島由紀夫の作品を想起するだろう。しかし、三島ク ンが採り上げる約二百年も前から、金閣寺は文芸の恰好の題材であった。浄瑠璃「祇 園祭礼信仰記(一七五七年)がそれである。全五段の浄瑠璃で、四段目が「金閣寺」 。翌年には歌舞伎にも翻案された。金閣寺の満開の桜の幹に縄で縛られた雪姫は、先 祖の雪舟の故事に倣い、爪先で桜の花弁を集めて鼠を描く。すると不思議やその絵が 白鼠に変じて縄を食いちぎり、姫は窮地を逃れる。降りしきる桜の花弁、縄に身をよ じらせる美貌の雪姫・・・幻想と被虐美がない交ぜになったグロテスクな絵巻の背景 に、かの金閣寺が妖しく姿を顕わす。







アートおもしろ草紙(2002年6月)   「 雨が押し流すもの 」

  雨の多い季節となった。 シトシトと降る雨音を聞いて想い出されるのが、英国の小説家サマセット・モーム の短編「雨」である。 南の離島で長雨に閉じこめられて滞在を続ける宣教師。同じ宿の娼婦の野卑な言動 に皆は眉をひそめるが、宣教師は宗教的な使命感から彼女の魂の教化に乗り出す。嘲 笑されても辛抱強く神の恩寵を説く彼の熱情は彼女のささくれた心を癒す。やがて彼 女は改心して堅気の生活を送り始める。周囲が安堵したのも束の間、かの宣教師の死 体が海岸に打ち上げられる。自殺だ。驚いたことに、現場に現れた彼女は、元のあば ずれに戻っていた。死体に唾を吐きかけ、口汚くののしる「男なんてみんな同じさ。 うす汚れた豚!豚!」。そうなのだ。陰鬱な長雨に理性を狂わされた宣教師は彼女に 近づき過ぎるあまり、ある夜・・・。20世紀の短編小説アンソロジーが編まれる際には必ず収録されるモームの名作。 梅雨のお供に、ぜひご一読あれ。







アートおもしろ草紙(2002年5月)   「家族ゲーム 」

  原始信仰は、「女性」「母性」信仰であったといわれる。多くの民族が生命力と豊 饒の象徴である地母神(Great Mother)を崇拝した。ヨーロッパも然り。こうした母 性原理が支配する精神風土にいきなり「男性神」「唯一絶対神」を持ち込んだのだか ら、キリスト教への反発は激烈だった。 キリスト教の布教は、ヨーロッパでの「父性」 と「母性」の闘争でもあった。「聖母」マリア信仰はその産物である。「父性神」を 押し立てながら、土俗の「母性」信仰を裏口から採り入れる貌で、マリアはいつしか 「聖母」となった。カトリックの強い地域ほどマリア信仰が盛んというのも頷ける。キリスト教は、女性を「聖」と「性」に二分した。前者は穢れ無き「聖母」マリア とされ崇められた。では後者は?淫蕩で邪悪な「魔女」として徹底的に弾圧された。  幼子イエスを抱く清楚な聖母像と紅蓮の炎に焼かれる魔女の図は、実は同じコイン の表裏なのだ。歴史の残酷な平衡である。







アートおもしろ草紙(2002年4月)   「 サクラ サク 」

  「花は桜木、人は武士」とよく聞かされるので、日本では桜が古来より百花の王で あったと思いがちであるが、実はそうではない。 桜が覇権を握ったのは平安時代以降で、それまでは梅が風流人を虜にしていた。そ れが証拠に、「万葉集」と「古今和歌集」で梅と桜を詠んだ歌の数を較べてみると、 前者では五対二で梅が優位であるのに対して、後者では一対十と桜の圧勝である。美 意識の急速な変化が窺える。紫宸殿階下の左近の梅も九世紀末には桜に代わったとい う。かつて「桜の木の下には屍体が埋まっている」と書いた小説家が居たが、まんざら 修辞とも言い切れない。実際、遺体を埋葬した塚の脇に鎮魂の意味を込めて、桜の木 を植える習慣が一部の地域にはあった。あなたが雑木林を散策していて、不意に木立 の中に満開の桜が数本現れたら、そこはかつて遺体が埋葬された場所である可能性が 高い。今でも合格通知の電報に「サクラ サク」の文言を使う大学が多い。貴君の好首尾 は桜の霊性の御蔭という暗示だろうか。







アートおもしろ草紙(2002年3月)   「 桃のご利益(りやく) 」

  3月3日は「上巳(じょうし)」の節句。人日(1月7日)・端午(5月5日)・ 七夕(7月7日)・重陽(9月9日)と並ぶ五節句の一である。最近では「桃の節句」 「雛まつり」の呼称の方が通りが良いかも知れない。元々は紙製の人形(ひとがた) にけがれを移して川に流していたが、後に雛人形を室内に飾る習いとなり、女児の祭 事として定着した。雛まつりに欠かせないのが桃。延命長寿・僻邪(へきじゃ)の霊果 とされる。理由 は諸説ある。春早く花が咲き実が多く多産の象徴である、「桃」(とう)が「刀」 (とう)と同音で「災厄を斬り払う」意があるなど。そういえば、災厄の権化である 鬼を退治したのも、「林檎」太郎や「蜜柑」太郎ならぬ、われらが「桃」太郎であっ た。京都御所には、鬼門除けに桃をかたどった瓦が遺る。また、日本最古の医学書「医心方」は、桃の花を陰干しの上で粉末にして酒に混ぜ、 一日三回食前に飲めば痩身の効ありと説く。厄よけからダイエットまで、霊果 ・桃さまさまである。







アートおもしろ草紙(2002年2月)   「何処から来て、何処へ行く? 」

  ピアニストが登場する。万雷の拍手。やがて水をうった様な静寂。彼はピアノの前 に座り、数秒、天を仰ぐとやおら弾き始める・・・コンサート会場でよく見かける光 景だ。  あの数秒間、彼は何をしているのか。天井にカンニング用の楽譜でも貼ってあるの か。まさか天井の塗料の剥落を心配している訳でもあるまい。どうも。ミューズの女 神に祈り、「啓示」がやって来るのを待っている様に見受けられる。  inspireの語源は、俗に「spiritが人間にinする」と説明される。芸術的な霊感は 何処か外から(神から?)やって来るのだと。つまり、芸術家は「依代」(よりしろ) に過ぎないという発想なのだ。  これに反旗を翻したのがシュールレアリストたち。人間を「神の啓示の受信器」で はなく、「芸術の発信器」と位置づけた。自己の深い所から溢れる感興の奔流を、遠 慮会釈無くキャンバスや五線譜や原稿用紙に叩きつけた。彼らの野生、奔放さ!昨今 の芸術家の貧血症ぶりとはあまりにも対照的である。







アートおもしろ草紙(2002年1月)   「 色模様 」

 色問答という言葉遊びがある。色を詠み込んだ定型の下句に対して、その色をした ものを三つ織り込んだ上句を即興で付ける遊び。例えば、「黒」の場合、下句は「黒 い黒いが黒いなりけり」。上句は「子烏の右と左は親烏」。黒い子烏の両側の親烏も、 当然に色は黒という次第。 同じ様に「赤い赤いが赤いなりけり」に何と付句するか? 解答例は「金時が鯛ぶら下げて火事見舞い」。ここで「金時」とはもちろん源頼光に 仕える四天王の一人・坂田金時のこと。

ある所で「小豆が鯛をぶら下げられるのか」 と真顔で質問され、呆れるのを通り越えてそのシュールな連想に却って感心させられ たことがある。  認知心理学のこむずかしい理屈が持ち出されるずっと以前から、日本人は「色」と 「ことば」の幸福な結合を生み出し続けてきた。  白、青、黄などなど「色々な」色で試してみられることをお勧めする。言語感覚の 「コリ」がほぐれること必定である。