アートおもしろ草紙(2003年12月) 「 大掃除は誰のため?」
年の暮れともなると、家庭・学校・職場では一斉に大掃除が始まる。ただですら忙 しいこの時期に、なぜ?「今年の汚れは今年のうちに落としたい」という一般的な心 情だけでは説明がつかない。では、新年のお客を清浄な環境でお迎えするためか。発 想としてはイイ線をいっているが、その「お客」とは誰かが問題だ。挨拶回りの得意 先?親戚の叔父さん?じつはお迎えするのは、人間にあらず。年神(としがみ)様な のである。江戸城では毎年十二月十三日に「煤払い」をおこなった。神棚を清め、年神様の来臨に備えた。庶民もこれにならい家の煤を払った。ところが正月まではまだ 二週間強あり、ずいぶん間延びしてしまう。おまけに、どうしたって毎日ほこりはた まる。そこで、この日は神棚と仏壇だけを綺麗にし、その他の掃除はもう数日経って から、時間をみつけておこなった。これが現行の大掃除の原型である。だから、親や 上司の言いつけだからといって、ふくれっ面でいやいや掃除をするのは止めたほうが よい。四角い部屋を丸く掃くような、ずぼらなおウチには年神様は寄りつかず、お先 真っ暗の新年になっちゃうよ。
アートおもしろ草紙(2003年11月) 「黒白の競演」
前衛的と評されるピアニストが肘や拳で鍵盤を臆面もなくぶっ叩くのを観るにつけ、 「ああしてピアノを元の打楽器に戻そうとしているんだ」と思う。ストラヴィンスキーやバルトークのピアノ作品とて、後期ロマン派へのアンチテーゼに思われて仕方がな い。ピアノで「謳(うた)う」こと、ピアノ自身による「声楽」を目指したショパンやリストに対して、いわゆる現代作曲家の多くは、「そんなこと言ったって、最終的 には金属線を叩いて音を出す楽器なんだから」と開き直った。鍵盤を押下すると、内部で複雑精妙なアクション機構(これに関してスタインウェイは、すでに数千の特許 をとっているだろう)が働いて、張られた金属線をポンと叩く。それで音が出る。そ
もそも「打鍵」という言葉もあるではないか、云々。
その通りなのだが、あまりにも味気ない。志がなさすぎる。ポンポンと鳴る打楽器 から流麗な旋律を取り出すこと。この難事と格闘した後期ロマン派の音楽家たちの姿は中世の錬金術師に似ている。金属と木から成る箱から、美しい音楽という宝物を紡 ぎ出す営み。しかも、凡百の錬金術師と違って、実際に成功した天才がいたのだから、歴史は油断がならない。
アートおもしろ草紙(2003年10月) 「紅葉幻想」
柳の下には幽霊が出る。藤の花房の下では『藤娘』が舞い踊る。では紅葉の下はど うか。これが意外なことに鬼が出た、と歌舞伎『紅葉狩』はいう。
平維茂(たいらのこれもち)が家来ともども信州・戸隠山へ紅葉狩へ行く。戸隠山 は、高天原(たかまがはら)の天手地力男神(あめのたぢからのおのかみ)が力まかせに開けたため地上へ落ちた天岩屋戸(あまのいわやと)だという伝説のある、いわ くつきの山。途中、大勢の侍女をはべらせた更科姫という美女の酒宴へ招かれる。美女と酒、とくると男は俄然弱い。酔って寝入った維茂の夢に戸隠山の山神が現れて、 更科姫の正体は鬼女だと警告する。寝ている間に彼の命を奪わなかったのは更科姫(=鬼女)の落度。目覚めた維茂の奮戦で、鬼女は撃退されてしまう。美しい紅葉に いやまして艶やかな更科姫。その言動に時として顔をのぞかせる恐ろしい鬼の本性。役者のしどころである。
樹木や花に種々の霊性を看取するのが日本の古典芸能の特色のひとつ。森や林の減 少は貴重な美的モチーフの喪失でもある。
アートおもしろ草紙(2003年9月) 「
芸術の長短 」
今日でこそ雛祭りや七夕ほどの知名度は無いが、重陽の節句(九月九日)は特に平 安時代には五節句の一として重要な年中行事であった。観菊の宴が催され、人々は菊 の花弁を浮かべた酒を飲んで長寿を願った。菊に不老不死を看る思想は、能「菊慈童」 (観世流以外では「枕慈童」)によく顕れている。
魏の時代。文帝の勅使が霊水を求めて山野を彷徨するうち、不思議な童子に出会っ た。彼は周の王の侍童で、王の枕を跨ぎ逆鱗に触れ配流の身となったが、山中の菊の 露を飲み七百年以上も少年のままであったという。ただ、この侍童、肉体こそ菊の霊力で少年のままであったにせよ、その精神までも 初々しくあり続けたのか定かでない。寧ろ、精神だけが加齢して七百年生き永らえて きたのだとしたら、これ以上の拷問は無かろう。ドラキュラは美女の生き血を、侍童は菊の露を吸って永遠の命を得る。東西の文化 圏の美学の違いが如実に現れていて、興趣が尽きない。
アートおもしろ草紙(2003年8月) 「 名刺交換の憂鬱 」
人名は難しい。ただし、用字が晦渋で漢和辞典をひかないと読めないという意味で はない。杓子定規のカタい頭では及びもつかない読み方をする場合があるのだ。<br>
例えば、今月の月名にちなんだ珍名に「八月一日」がある。驚いたことに、これで 苗字だ。解答の照会先をニュートロンさんにして本稿を閉じても良いのだが、電話が殺到しても困るので、正解を書いておく。「八月一日」と書いて、じつは「ほづみ (穂積み)」と読む。ここでいう八月一日は旧暦なので、いまの暦でいえば九月初旬 にあたる。刈り取った稲穂を積み上げる連想から、穂積というわけ。
「春夏秋冬」という苗字もある。私の友人で「いちねん」と読んだ男が居たが、発 想はイイ線をいっている。ただ、一休さんの友人の「珍念」(ちんねん)じゃあるま いし、「いちねん」では即物的過ぎて愛想がない。人名なので、もっとみやびに・・・ 。答えは「ひととせ」。やられたという感じだ。
最後に類題をひとつ。「四月一日」という苗字は、さあ、何と読む?
アートおもしろ草紙(2003年7月) 「 腕時計の今昔」
男性向け雑誌で、これを特集すれば確実に部数が伸びるというアイテムが三つある。 クルマ、スーツ、そして腕時計だ。
いまでこそ洒落者の必須アイテムである腕時計だが、日本での普及の契機が、お洒 落とはおよそ縁遠い「戦争」だったことはあまり知られていない。
かつての戦(いくさ)はのどかだった。陣太鼓やホラ貝を補助的に使いながらも、 最終的に陣を動かすのは大将や将軍自身の掛け声や指示であった。逆の言い方をすると、彼らは、肉声の届く範囲の規模の軍しか指揮出来なかった。
ところが、国家同士が総力をあげてぶつかる近代戦ではそうはいかない。なにしろ 巨大な軍隊間の組織戦だ。派手な合図では相手にこちらの作戦を気取られる。そこで現場の兵士も腕時計を携行し、時間軸に沿った組織的な戦闘を展開するようになった。 一九三七(昭和十二)年の日中戦争あたりが分水嶺だという。
日本ファシズムの台頭と歩調をあわせるように普及していった腕時計。この小さな 小さな機械を通じて、ファッショとファッションが出くわした歴史の不思議を思う。
アートおもしろ草紙(2003年6月) 「 そんなこととは、つゆ知らず・・・ 」
大阪市北区曾根崎には、露天神社が鎮座する。菅原道真は、太宰府に流される途上 に太融寺に参詣。次いでこのあたりにさしかかった際に「露と散る涙は袖に朽ちにけり 都のことを思ひ出づれば」と詠んだので、露天神の名がついたと伝えられる。梅雨が原因だという珍説もある。毎年、梅雨時分になると、地下水の加減か、境内 の井戸から水が溢れた。このため、梅雨(=露)天神になったそうな。出来すぎた話ではある。ただ、露天神にせよ、梅雨天神にせよ、ピンとくる人が少なかろう。俗称である 「お初天神」の名があまりにも人口に膾炙しているためだ。元禄十六(一七〇三)年、平野屋手代・徳平衛(二十五歳)と天満屋の抱え遊女・ お初(十九歳)が境内で心中し、大坂中の話題をさらった。この事件を直ぐに芝居に仕立てたのが近松門左衛門の『曾根崎心中』で、これが空前の大ヒット。「お初天神」 の名が定着した。男女の情死事件が神社の知名度アップの切り札になろうとは、さすがの天神さんも、 「つゆ」知らず・・・
アートおもしろ草紙(2003年5月) 「書くこと、語ること 」
職業柄、評論と講演の双方を日常的に手掛けていると、「ことば」というものの凄 さと素晴らしさに否応なしに向き合うことになる。書くことと語ること。しばしば誤解されているのだが、この二つは全く別の世界に 属す事柄だ。それぞれ独自の体系と方法論と美学を持つ。書くようにしゃべること。これはまず無理だ。しゃべるように書くこと。こっちはどうだろう。「名文をものすには」式のハウツー本は、よく「しゃべるように書け」と教訓を垂 れるが、これとて一種の修辞に過ぎない。ドストエフスキーが自作の小説を読み上げても拍手は貰えまいし、澁澤龍彦の朗読は聴く者には地獄だ。昔、レストランのメニューを朗読して店内の紳士淑女を涙させたフランスの名女優 が居た。電話帳を読み上げるだけで観客を1時間惹きつけたイギリスの伝説的な舞台俳優の逸話もある。最近、ポエトリー・リーディングだ、朗読会だのと、「語ること」への文学者(お よび自称文学者)の進出が著しいが、その無自覚と無邪気さに愕然とさせられることが多い。言霊に祟られないよう、彼らのために祈りたい。
アートおもしろ草紙(2003年4月) 「 釣竿の先 」
常磐津舞踊に「釣女」(つりおんな)がある。ともに独身である大名と太郎冠者が、良き妻を授かりに西宮のえべっさんに参詣に ゆく。熱心な祈願の甲斐あって、大名はえべっさんの釣竿で美しい妻を釣り(フェミニズ ムの闘士の方々、まあ、おさえておさえて)、めでたく祝言をあげる。負けじと太郎 冠者が釣ると、かかったのは薄衣をかぶった女。いよいよ美女とご対面、とばかりに かぶりものをとると、現れたのは大名の妻とは似ても似つかぬ醜女。驚き呆れた太郎 冠者はとりすがる醜女をおいて逃げ出す、という滑稽な作品だ。二枚目俳優がわざと稚拙な化粧で醜女に化けるため観客は大喜び。ただし、良識派 は「容貌に恵まれないからって、あの扱いはヒドイ」「女性蔑視だわ」と憤慨する。筋論はともかくとして、ここでは太郎冠者の哀れさにも注目してもらいたい。主人 は難なく美女を射止めたのに、なぜ彼だけが・・・。逃げまどう太郎冠者の脳裏を身分制社会への義憤が少しでもかすめたら、かれはも はや中世人ではなく、立派な近代人である。
アートおもしろ草紙(2003年3月) 「 祝園はなんと読む? 」
JR学研都市線の木津の手前、京都府相楽郡精華町に「祝園」という駅がある。「ほ うその」と読む。「祝」の字がつくから、むかしから神仏の祝福に満ちたおめでたい土地と考えがち だがじつは逆で、血塗られた過去を持つ。崇神天皇の治世。異母兄・武埴安彦(たけはにやすひこ)が反乱を起こした。が、大望果たせず、配下の兵士もろとも斬殺され、この地に埋葬された。埋葬は「葬(はふ)る」とも言われたから、「葬り苑」(はふりその)が転訛して 「ほうその」となったという。一方、「はふり」には「葬り」の他に「祝」(はふり)(神に奉仕する職に就く人) の意味もある。このため、いつしか「祝園」(ほうその)の字があてられたのだろう。駅の東には春日大社の神を勧請した「祝園神社」がひっそりとたたずみ、死者の霊 を鎮めている。同音で通じる「葬」と「祝」。古代の日本人の心性の一端が垣間見えて興味深い。
アートおもしろ草紙(2003年2月)
十字軍遠征の思わぬ副産物として、欧州はイスラム圏からアリストテレス哲学を得 た。ギリシアの巨人の業績は永らく欧州では忘れられ、伝播したイスラム圏でワイン の様に熟成して芳醇な香りを放っていた。それを欧州が再発見したのである。アリストテレスの世界観は実にシンプルである。世界は、火・水・気・地の四大元 素とそれらを統合する第五実体(フィフス・エレメント)から成ると考えた。後代の錬金術師の仕事は、この第五実体の正体を突きとめことであった。しかし、 彼らがどんなに研究しても手掛かりすら掴めない。第五実体は、或る種の諦念も交え、いつしか「賢者の石」と呼ばれる様になった。才人リュック・ベッソン監督は映画「フィフス・エレメント」で、「賢者の石とは 物質ではなく愛」との独創的な解釈を示した。後続の映画人の対応が注目されたが、人気作「ハリー・ポッター」シリーズでは旧態依然として賢者の石は文字通りの石と して扱われている。発想の貧困さは覆うべくもない。
アートおもしろ草紙(2003年1月) 「 エッシャー風の初夢 」
「回文」(かいもん)というのをご存じか?上から読んでも下から読んでも同じ文 章のことで、古典的な例としては「ダンスガスンダ」「タケヤブヤケタ」がよく挙げ
られる。当然、長い回文ほど拵えるのは難しい。しかし、この世には異様に鋭い言語感覚の 持ち主も居るとみえて、和歌形式の次の回文が知られている。「なかきよの とおのねむりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」漢字交じりの表記に直すと、「長き夜の とおの眠りの 皆目覚め 波乗り舟の 音の良き哉」この回文を紙に書き枕の下に敷いて眠ると初夢の夢見が良くなるという俗信が有る。 ただ、初夢とはいつ見る夢か。大晦日の晩ないし元日の夜という意見が主流だが、立春の前日すなわち「節分」の晩と解する地域も多い。これは、立春が「冬と春」「旧 年と新年」を分かつためである。いよいよ来月は節分。今から上記の回文の暗唱をお薦めする次第。