福井栄一コラム 「アートおもしろ草紙」 2004
上方文化評論家 / 福井栄一


アートおもしろ草紙(2004年12月)   「 半券の恨み 」

 国公立のミュージアムで大型展覧会が相次いでいる。海外の有名ミュージアムの所 蔵品を借りてきて展示するのである。小難しい企画立案や面倒くさい実務は主催者た る新聞社等がやってくれるので、ミュージアムは場所貸しに徹していればよい。楽チ ンだ。宣伝につられて、来館者数はうなぎ登り。館長はその数字をおのが実績として 鼻高々で所管官庁へ報告する・・・・・こうした茶番のツケは、すべて入館料へはね かえる。大人千数百円を払わされることが常態となった。映画を観るのとほとんど変 わらない。どうやらミュージアム関係者は、博物館法第二三条をすっかり忘れている ようだ。「公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収しては ならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情がある場合は、必要な 対価を徴収することができる。」すべてはこの但し書きに甘えての所行。「巨艦主 義」的な企画展を連発することが「やむを得ない事情」か。ちなみに、同じく文化の 前線基地である図書館の利用料は無料。ミュージアムをめぐる現状が、如何に不健全 であるか分かるだろう。





アートおもしろ草紙(2004年11月)   「 美醜は皮一枚というけれど」

  クレオパトラや楊貴妃を持ち出すまでもなく、亡国の因は美女である。醜女(しこ め)が国を滅ぼした例を聞かない。
「男を惑わす」「理性を狂わせる」美女は、しばしば「危険な香りのする」「この 世の者とは思われぬ」妖女でもある。むかしから、幽霊、亡霊のたぐいは大抵は女 性、それも美女である。毒薬で面相ただれたお岩様や殿様に吊し斬りにされたお菊さ んも、ご健勝の砌(みぎり)は、近所でも評判の美人であった。
フェミニズム全盛の現代、総スカンを喰らうこと必定の古い咄をひとつ。
浮気した夫に謀殺された醜女の妻が、閻魔大王に懇願する。「ほんの少しの間で結 構ですから、私を娑婆(しゃば)へ戻して下さい。幽霊になって、あの憎い夫に祟っ てやりたいんです。あいつをとり殺した後なら、どんな重い罰でも受けます。」
幽霊は美女と相場が決まっているので閻魔が困惑していると、控えていた鬼が醜女 の袖をうしろから引っ張って、小声で「化け物(もん)で願え、化け物で願え」。





アートおもしろ草紙(2004年10月)   「 待ち人は何処に 」

ある人が、石像づくりの名人に「傑作を生み出す秘訣は?」と訊ねた。
名人はきょとんとして、こう答えたという。  「特別なことなんか、何もしちゃいない。俺はただ、岩の中に埋まっているこいつ らを、槌(つち)と鑿(のみ)を使って、掘り出してやっているだけさ。」
(類話を夏目漱石が『夢十夜』で書いている。ただし、主人公は仏師運慶で、護国 寺の山門で仁王を制作中。刻むのは石ではなく木である。) 岩塊から「彫り出す」のではなく「掘り出す」ことで、名作が生まれる。美は常に 蔵されている 芸術家が携わるのは創造活動ばかりではない。忘れられた美、埋もれた美の「発 掘」「発見」も重要な仕事だ。
柳宗悦が黙っていたら、民芸品はただのガラクタとして一顧だにされなかっただろ うし、岡本太郎が雄叫びを上げなければ、縄文土器は野蛮の一言で片づけられただろう。眼だ。大切なのは眼だ。汚辱と喧噪にまみれてなお煌めく美の一閃を逃さぬ眼。 美は今日も、あなたとの邂逅を待ち侘びている。






アートおもしろ草紙(2004年9月)   「 美の無間地獄 」

 「アタクシ、絵画には目がないんですのよ」とのたまうミセスは多い。たいていは 金のチェーン付きの眼鏡をかけ、ワニ革のバッグの中には、(書き込む用事も別段な いのだが、なぜか)舶来のダイアリーを忍ばせている。聞いてみると、月に二、三回は美術館に足を運び、ある絵の前に佇んで半日を過ご すこともあるという。ウットリした目でそう話す彼女たちを見るにつけ、この人たち は本当に絵が好きなのか疑わしくなってくる。本当に好きなのは、絵そのものではな く、絵を観ている自分なのではないか。Artを愛しているのではなく、Artを愛 している(と勝手に思い込んでいる)自分が好きなだけなのではないか。
「カラオケが趣味」というと軽蔑の目で見られるが、「アートが好き」と公言する と他人(ひと)からは「素敵ね」と褒められ、ご近所での株も上がる。あとは、ミュ −ジアムショップで仕入れた泰西名画の特製Tシャツでも着ておけば、鬼に金棒である。
 賞翫の対象は作品なのか自分自身なのか。絵の前に立つ人を背後から見ると、無間 地獄が額の向こうへと続いていることに気づく。







アートおもしろ草紙(2004年8月)   「 空焚きにご注意 」

ヤカンを火にかけて湯を早く沸かす秘訣は、コンロの前でじっと待たないこと。 「まだかな、まだかな」と腕組みして待っていると、ヤカンに「よし、ちょっとばか り困らせてやれ」という悪戯心が生まれ、湯はなかなか沸いてくれない。試しに、わざと台所を離れ、居間で新聞を読んだり、庭の植木に水をやったりして みなさい。 「おまえさんのことなんか、別段、気にかけちゃいない」という態度を とっていると、ヤカンの方が人間に構って欲しくてカッカときて、湯はたちまちグラ グラと沸いてくれるだろう。
 芸術家への支援もこうありたいものだ。
 「俺様が金を出したんだから」と芸術家の創作活動にあれこれ口をはさみ、干渉し 始めるとロクなことにならない。出すべきものは出しておいて、あとは知らんフリを しているが良い。芸術家は却って発奮して力作を生み出し、あとでこちらをびっくりさせてくれるだ ろう。完全にうっちゃってしまうのではない。いつも視界の端には捉えながら、お小言は 言わない、大人の対応が望まれる。
  ただし、ヤカンも芸術家も、空焚きにはご注意あれ。









アートおもしろ草紙(2004年7月)   「 こんにちは通天閣 」

  大阪城とならぶ大阪観光の人気スポット、通天閣。第5回内国勧業博覧会の跡地に 1912年7月3日に建てられた。高さ75メートルの偉容になにわっ子は驚愕した ものだったが、それもながくは続かなかった。1943年に足許の映画館から出火し て塔が焼損。このままでは倒壊の危険があるとして、解体された。解体作業で得られ た鉄骨は約300トン。おりしも日本は負け戦の最中。これ幸いと軍が鉄骨をのこら ず接収し、人々の夢やあこがれの象徴はたちまちに銃や戦車に化けたという。あまり のタイミングのよさに、軍の陰謀説を唱える人がいるのもうなずける話。さて、2代 目の通天閣の建設は1956年のこと。高さも103メートルにアップした。今日わ れわれが目にする通天閣は、この2代目である。建てられてまだ半世紀も経過してい ない、新しい名所であることに留意したい。そういえば、現在の大阪城天守閣は初代 でも2代目でもなくて、じつは3代目。1931年に建てられた。こちらとて70余 年の新参者である。むろん、古ければよいというものではないが、新しすぎるのも考 えもの。名所の落としどころは難しい。







アートおもしろ草紙(2004年6月)   「 益虫と害虫 」

  葉たばこの産地として有名な福島県常葉町(ときわまち)。肥料に使う腐葉土に毎 年、大量のカブトムシの幼虫が発生して農家の人々を悩ませていた。「厄介者として 駆除するのではなく、いっそ町の観光資源にしてみては」と発想を転換。昭和63年 6月4日(「ムシの日」)に「カブトムシ自然王国」を宣言した。「カブト屋敷」 「カブトムシ自然観察園」等の施設が整備され、町のイメージキャラクターは「カブ トン」。カブトムシは町の救世主なのだ。
ちなみに、常葉町のムシたちにはゴキゲンの6月4日も、ところ変われば恐怖の日 となる。衛生害虫や有害生物の防除事業を目的とする社団法人日本ペストコントロー ル協会では、6月4日を(奇しくも同名の)「ムシの日」と定め、害虫駆除へ向けた イベントや害虫相談所の開設などをおこなっている。おまけに6月4日〜7月4日を 「ムシナシ月間」(正式名称は「ねずみ・衛生害虫駆除推進月間」)と呼ぶそうだ。
  人間様の都合で、益虫と害虫の区別がコロコロ変わる。ムシのよい話だ。まあ、人間 の身勝手な思惑などムシたちは無視しているだろうが・・・。







アートおもしろ草紙(2004年5月)   「先方の都合 」

  家宝の皿をあやまって割り、井戸に放り込まれたお菊さん。夜な夜な「一枚、二枚・ ・・」と悲しげに皿を数える。凄惨だが美しい姿。「美女に会いたし、命は惜しし」 という男たちが「九枚目まで居るからとり殺される。七枚目あたりで逃げたら祟りも ないわい」と知恵を出して見物人は激増。こうなるとお菊さんも人気稼業。「よっ、 日本一!」という掛け声に、「お越しやす〜」と愛想しながら出てくる。今宵は珍し くちょっと咳きこみながら「一枚、二枚・・・」。七枚目で見物客は逃げだそうとす るが、大混雑で将棋倒しに。その間にお菊さんは禁断の九枚まで数えてしまった。「もうアカン」と皆は身をすくめるが何ともない。お菊さんは構わず十八枚まで数え、 すーっと消えようとする。あきれた客が「こら、お菊。たいがいにせえ。皿が九枚し かないとさめざめと泣くはずのオマエが、十八枚も数えてどないすんねん」と毒づく と、お菊さん曰く「ポンポン言いな。今日二日分数えて、明日は風邪で休むねん」。律儀なマニュアル世代に痛撃をかました、お菊嬢の物語。現代のサービス業への教訓 満載、上方落語『皿屋敷』でございました。







アートおもしろ草紙(2004年4月)   「 ことわざの正しい使い方 」

  「人を呪わば穴ふたつ」ということわざがある。中国産らしい。他人を陥れるとそ の報いはいつか自分にもめぐってくる、つまりは「因果応報ですよ、善良に生きなさ いよ」というつまらぬ処世訓だ。苛烈さを好む国にしては珍しく手ぬるい。これにひ きかえ、日本では、「あな嬉し となりの蔵が 燃えている」「世の中に 楽しきことは 無けれども となりの騒動 これが楽しみ」 と人間の深層心理をえぐり、辛辣で小気味よい。ところで、ふたつ目の「穴」に落ち 込むのは誰か。すくなくとも最初に他人を呪った奴でないと考える方が、話は俄然現 実味を帯びる。犯罪をおかす、ボロが出る、秘密を知った者を口封じに殺す、その殺 人の隠蔽のためにまた人を殺す、ええい、三人殺(や)るのも四人殺(や)るのも同 じこと・・・となり、「穴」の数は増える一方。もしや「穴ふたつ」とは警告でなく、 「穴」の数の上限を指すのか。犠牲者が二人までなら大目にみる、という配慮?おっ と、知らないうちに私専用の穴を用意されてはかなわないから、要らぬ詮索はこのへ んで。







アートおもしろ草紙(2004年3月)   「 菜の花と利休 」

  泉州・堺出身の茶聖・千利休は、天正十九(一五九一)年二月二十八日、豊臣秀吉 の命に従い、自刃して果てた。その追善のための大規模な茶会「利休忌」は、裏千家 と武者小路千家では、一ヶ月後の三月二十八日に、表千家では一日早い三月二十七日 におこなわれる。なぜ二月ではなく、三月なのか。「天正十九(一五九一)年は閏一 月がある年だったので、同年の二月は実質的には三番目の月、すなわち三月のこと」 「京都の二月の寒さは格別なので、利休忌の参列者への配慮から一ヶ月遅らせた」な ど種々の憶測が乱れ飛ぶが、本当のところはよくわからない。利休は、春の使者・菜 の花を好んだ。このため、「利休忌」が明けるまで、茶人は茶室に菜の花を飾らない らしい。そういえば、端唄『有明』にこんな詞章がある。「有明のとぼす油は菜種な り / 蝶が焦がれて逢いに来る / 元をただせば深い仲 / 死ぬる覚悟で来たわいな」。茶 道に焦がれ焦がれた利休。運命の悪戯か、茶道に「死ぬる覚悟」は現実のものとなっ た。菜の花の美しさを心の支えにして逝った茶聖は、泉下では蝶と化したことだろう。







アートおもしろ草紙(2004年2月)   「 想いは紙に載って 」

  海外の知人・友人に手紙を書く。切手を貼り、ポストに投函する。あとは郵便局の 仕事。数日後には相手に届く。このプロセスが当たり前のように成立しているのは、 万国郵便連合(UPU)のお蔭だ。一八七七(明治一〇)年二月十九日、日本は独立国 としては世界で二十三番目、アジアでは最初に万国郵便連合に加盟した。加盟国間の 郵便は、万国郵便連合条約に基づき、あたかもひとつの郵便区域内のように送達され る。だからこそ、投函者が海外の郵便局員に直接お駄賃を払わなくても、日本円建の 切手をペタッと貼るだけで、万事済むわけなのだ。ところで、万国郵便連合条約の改 正に伴い、切手への国名のローマ字表記が義務づけられたのをうけて、日本の切手に は「NIPPON」と表記されている。「NIHON」ではない。一九六五(昭和四〇)年九月 の閣議決定によるのだが、「ないほん」とか「におん」とか好き放題読まれては叶わ んというのが理由らしい。
  発音上の問題を別にしても、たしかにオリンピック選手の 胸のロゴは、「NIPPON」の方が収まりがよい気はする。国号があいまいなのも、いか にも「日本」。







アートおもしろ草紙(2004年1月)   「 水や肥料なしに育つ尖塔 」

  毒舌の画家サルヴァトール・ダリがめずらしく激賞した建築家、アントニオ・ガウ ディ(一八五二〜一九二六年)。彼の作品がサントリーのテレビCMで採り上げられ て話題になってから、もう何十年経っただろう。直線と平面を多用するコルビジェ流 のモダニズム建築とは対照的な作風で、曲線、うねり、曲面が基調になっている。建 物全体がぬめっとした質感にあふれ、一個の巨大な生き物のようだ。柔らかな時計 (『記憶の固執』)など、ぐにゃりと溶けた事物を偏愛したダリが気にいっていたの も無理はない。
代表作ラ・サグラダ・ファミリア大聖堂は一八八三年に着工されたが未完で、現在 も工事中。ガウディの芸術に惹かれた無数のアーティストたちが世界中から集まり、 ボランタリーに工事を続けている。今世紀中には完成するのではないか。手掛けた建 築家の死後数十年経って、なおも成長を続ける大聖堂。生きた建築。伸びゆく建築。 モダニズム、ポスト・モダニズム、ミニマリズム・・・と片仮名の応酬が絶えない建 築界・思想界の狂騒を尻目に、ガウディの尖塔は今日もすくすくと育つ。