neutron Gallery - 泉 洋平展 『視線の休譜』-
2008/5/27 Tue - 6/8 Sun gallery neutron
ニュートロンアーティスト登録作家 泉 洋平 IZUMI YOHEI

京都精華大学大学院芸術研究科博士課程洋画専攻卒業、期待の新鋭が初登場。視覚に頼り現代を生きる私達に、あるいは既製の美術の在り方に一石を投じる。絵画を基本としながらも、インスタレーションや立体を用いてトリッ キーに楽しませつつ、「見る」という行為の本質を探る作家が、この空間に散在する歴史を展示する!?




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ギャラリーニュートロン 桑原暢子

 絵画の正面とは一体どこなのだろう。そんな疑問を抱いたことがあるだろうか。自分が正面だと思う位置、常識 的に考えここが正面だろうという位置とは、画面の中心であり、画面の前方に立つことなのだろう。しかし泉の作品において、我々が正面だと思う位置から見た 画像は横に伸びて見える。しかし、その画面を斜めから見ると、正像と思われるものが浮かび上がってくる。つまり、彼の作品には二つの正面が存在し、いつも とは異なる位置から見ることによって描かれた像をはっきりと見ることが出来るのだ。それは、普段私たちが一枚の絵画とはどこから見ても同じイメージであ る、という思い込みで鑑賞しているということを気付かせる一連のシリーズなのだ。また異なる視点で画面を鑑賞するだけではなく、物事、事象についても普段 とは違ったアプローチで考える事により、いつもとは違う考えに到達し、物事の本質について深く考えることができるのではないか、ということも示唆されてい る。ある時このシリーズの絵画に変化が生まれる。正面からと斜めからの両視点からでも変わることのない一本の線が現れたのだ。それはまるで背骨のように曲 がることも歪むこともなく、ただひたすらに一直線で在り続ける。どの方向から見ても変化しない唯一のものを画面上に登場させることによって、物事において 重要な部分は変わることがない、ということを比喩しているかのようでもある。

 「しょくせん(触線)syokusen(line of touch)」(2008年)においては、透明の点字ブロックを鑑賞者に気付かせずに踏ませることにより、足に違和感を与え、その感覚をもって視覚障害者 の「視線」を表現した。触覚から感じ取る視線を「見る」ということ。その不思議な感覚を作品の重要な要素として置いている。またこの作品では、感触と視覚 の二つの感覚を刺激すると同時に、目の見える人がいかに視覚からの情報を頼りに物を認識しているかを明確に提示しているのだ。

 このように、これまでの作品においては、「見る・見える」という視覚の能動的、 かつ積極的な問題について制作してき た。しかし今回は、ギャラリーに作品を鑑賞しに来た人達にとっては無視すべき存在である壁のシミや傷、ギャラリーの天井にある普段は気付かないものをモ チーフに描く。それはつまり「見ない・見えない」という、視覚の能動的であるがネガティブな一面がテーマになるのだ。壁にかけられた絵画を見ることが常識 としてまかり通る、ギャラリーという特別な空間。そこでは壁にかけられた平面は絵画となり、立体は彫刻という作品になる。今回ギャラリーで展示されている 絵は、平面であり絵画である。しかしその絵画の役割は情報でしかない。「観る」という空間において「見る」べきものは「視る」ものではないのだ。それは作 品を期待している観客の期待を裏切るものかも知れない。ギャラリーにおいて見るべきものは作品であり、ギャラリー内にあるシミや傷ではない。真っ白な空間 で観客はシミや傷の存在を確認しているが、その存在自体を「見ない・見えない」というように無視しているのである。そのような無視される存在を、絵画とい う「見る」存在に仕立て上げることによって、本来そこで「見る」べきものとは何かを探すと同時に、視覚について考えさせる作品となる。そしてその存在を空 間内で探し出すという楽しみこそが今回の作品の醍醐味なのだ。視覚について考えさせる作品ではあるが、その本質は、探し見つける楽しみという「目には見え ない」感情なのである。

 ただの装置として存在するその作品らしき画面を展示することで、普段とは別の見方を提案する。作品とは何か、絵画とは何か、またギャラリーという特殊な空間の存在意義をも考えさせる力を持った作品になるだろう。