小倉正志コラム 「画人日記」 2002
絵画家 / 小倉正志「画人日記」 (第13回-24回)


2002年 画人日記(第24回)   「 アンダー・コンストラクション アジア美術の新世代 」

場所 : 東京オペラシティアートギャラリー
日時 : 2002年12月7日(土)〜2003年3月2日(日)

  総勢43名によるアジアの新世代のアー ティストが生み出す、パワー溢れる展覧会。 行政や企業がアートを支えるシステムは日 本に限らずアジア各国でも行なわれている が、その動きもここ数年で活発になってき ている。ヨーロッパやアメリカに比べ、ア ジアはその地域性を発揮した独創的な展開 が新鮮で、現代アートの重要な発信地とし て注目されている 。
 今年のワールドカップを代表するように、 アジアのスポーツ、アートの潜在力は大き く、その勢いは目覚ましいものがある。こ の展覧会は、アジアのアーティストによる アジアの現在を確認する作業でもあった。
 主にインスタレーションによる大規模な 作品が目立ち、個々の民族性を表現してい るものや、物質文明に対する欲望を表現し たものなど、表現方法も様々。私は日本人 よりも自由に発想しているし、楽しんで制 作していることを、今回の他のアジア出身 者の作品に感じた。アートの概念を打破し たその大胆さは今後の世界規模での活躍を 感じさせ、アジアの文化が21世紀をリー ドすることを期待させる。



  キュレイターがアジアをテーマに、7つ の都市で行なってきた展覧会が、はじめて この東京で集ったのである。
  様々な状況を経て、アジアの国と国との コミュニケーションはより深くなってきて いる。そんな中でアートの存在が認識され てきたことをこの展覧会を見ながら思った。


2002年 画人日記(第23回)   「 未来予想図 私の人生☆劇場 」

場所 : 兵庫県立美術館
日時 : 11月19日(火)〜2003年1月13日(月・祝)

  画人日記の今年最後は、現代アートの状 況を見るにふさわしい展覧会を紹介します。 この展覧会に出品した作家は、国内外で活 躍している作家たちです。平面・映像・イ ンスタレーションなど、会場内は表現方法 も様々で、大変充実した内容になっていま す。21世紀の初頭にふさわしい企画であ り、美術資料としても貴重なものとして残 る気がします。メディアでも大きく取上げ られることと思います 。 さらにこの展覧会を盛り上げる関連企画 も注目です。公開制作・パフォーマンス・ レクチャーなど、作家とのコミュニケーシ ョンを深めるいいチャンスではないかと思 います。



  混沌とした社会の中で、人間が表現する ことのできる喜びをアーティストは体験し ています。見る側にいるよりも、やはり表 現する側の方がおもしろいです。アートは、 様々なメッセージをいかにおもしろく表現 できるか、ということも重要なテーマであ ると思うのです。 作品と人間には必ず密接なつながりがあ ります。その作家が生きてきた環境は作家 の作品に何か影響を与えているのです。今 回の展覧会では、そうした作家と作品との 関係を探ることにおいても大変興味深いも のがあると思います。



2002年 画人日記(第22回)   「 バルセロナ・ピカソ美術館展 」

場所 : 東京 上野の森美術館
日時 : 9月21日(土)〜12月8日(日)
  東京でピカソを見た。と言っても、右のチケットの絵の ような写実的な作品からはピカソのイメージは湧いてこな い。今回のピカソ展は、こうした従来のピカソへの印象を 否定する少年時代の作品が中心なのだ 。 少年時代のピカソは平凡な人間だったのか。あの20世 紀を代表する画家のルーツが見えてくる画期的な展覧会と なった。その作品のどれもがレベルの高いものばかりで、 年齢を凌ぐ絵の才能に、ピカソの父も驚嘆したのも無理は ない。青の時代までの過程を辿ることができるこの展覧会 では、ピカソの人生観を発見することもできる。 あのような抽象画の背景には、生活を通 してピカソが感 じた人間の精神性、社会や宗教とのかかわりがあることを 確信するし、それがピカソの独創的作品につながっていっ たのである。すでに少年時代から平凡ではなかった。



  私は、この展覧会を見てまず思ったのは、ピカソに限ら ず、作家の創作理由を知るには、作家の育ってきた環境や 時代背景も大きなヒントになるということだ。そして、作 家が残した言葉も大切な要素である。今回の展覧会にも、 創作のヒントになるピカソの言葉が示されている。 ピカソは19世紀から20世紀という時代の大きな転換 期に生れ、またスペイン戦争も体験した。我々も今、大き な時代の転換期にいることは間違いない。だから芸術家に 限らず、様々な分野で時代を変える凄い人物が登場するだ ろうと思う。 ピカソの原点を見て、さらに人間ピカソのスケールの大 きさを知らされた観覧者たち。このピカソ展は全国巡回は ない。ぜひこの機会をお見逃しなく。






2002年 画人日記(第21回)   「 ハピネス - HAPPINES - 」

場所 : 東京 渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム
日時 : 8月31日(土)〜10月20日(日)

  世界には、日本人の知らない場所で多くの難民が存在する。その姿を、ブラジル生ま れの写真家、セバスチャン・サルガドが40以上の国・地域で撮影した厖大な数の写 真 が展示された。どれも現実の悲惨な状況を物語り、人間の本能的な苦しみを訴えかけて くる。それらの写真を見て、同情することは出来ても、我々に、その恐怖や不安を体感 することは出来ない。 写真に登場する個人や集団は、生きるということに喜びや生きがいのない人間たちで ある。こうした残酷な現実の姿を見る時、この展覧会場のある日本の渋谷は、この世の 極楽と映る。私の友人の知り合いがアフリカへ旅行して知ったことだそうだが、「向こ うではマクドナルドのハンバーガーが「ごちそう」なのだそうである。  国と国との対立による武力攻撃は、関係のない人間を無差別 に殺し、人間という存在 に対する悲哀の感情は無視される。セバスチャン・サルガドは、こうしたこの世の真実 を我々に見せつける。メディアを介入し、我々が見る情報には、政治的に意図的な手が 加えられていることもあるが、セバスチャン・サルガドの写真は、生命の尊厳を持つ一 人の人間が撮った写真だから、普遍性があり、誰もが共感できるのだ。 渋谷の街のように遊んで、おいしものを食べて、楽しい時間を共有できる日本人は、 とりあえず幸せな人間たちである。食べることの喜びを感じることは、人間にとって一 番幸福なことではないだろうか。 この写真家には、現代人に、人間が生きるということの原点に立ち帰れ、という警鐘 を知らせてくれたことを感謝したい。



 写真に映る地獄の風景を見て驚嘆している観覧者は、会場を出てしばらくすると、渋 谷の陽気な光景の中を浮遊する、平和なこの国の人間にまた戻ってゆくのだろう。





2002年 画人日記(第20回) 「 開館記念展 美術の力 」

場所 : 兵庫県立美術館
日時 : 7月13日(土)〜8月25日(日)

  真夏の一日、今年4月に OPENしたばかりの兵庫 県立美術館で行なわれた、 「美術の力―時代を拓く7 作家―」展を見た。現在世 界的に活躍中の作家が同じ 場所で見れることに魅力を 感じた。21世紀という新 しい時代に入り、この時代 のアートの空気を感じるこ とができた企画展であった。 中でも圧巻だったのは、ビル・ヴィオラのビデオ・アートによる作品。5つ映像から は、自然や人間を覆う大きな世界の呼吸を感じることができた。私は、映像に映し出さ れる「水」の驚異が強く印象に残った。 日本の作家では、人や自然をモチーフにした独特の世界を描く小林孝亘氏の作品がよ かった。ストレートに訴えかけてくるというより、ほのぼのとした静かな感じが心地よ く、おそらく多くの人に愛される作品ではないかと思った。 中国の作家、蔡國強の作品はユニークだった。黄金のトタン製の小舟が無数につなが り、一つ一つの小舟が空中に浮かんでいるようである。その小舟の群れはある方向へと 導かれるように感じるのだが、そこには、過去と現在、そして未来へとつながる作者の メッセージがあるのだ。



  この他にも、青木野枝、ヘンリク・ハカンソン、河口龍夫、ハンス・ペーター・クー ンという現代アートの作家たちの作品があった。全体を通して感じたのは、混沌とした 世界に対して、人間の失われた感覚を呼び覚ますような作品が共通していたこと。そし てその作品はシンプルに表現されていたことである。 個人的な思いとして、作品と作家との関係を知る上で、作者と観覧者との対話や、作 者による作品説明などの時間もほしかった。 現代アートの作家は、自分と時代、社会との関係性を作品を通 して表現していくので ある。私は現代アートの作品の発表の場には、作家との直接のコミュニケーションの場 が必要ではないかと思う。作品でコミュニケーションできていると言えなくもないが、 生身の人間との対話の方が、お互いが理解できるはずである。





2002年 画人日記(第19回)   「 アメリカ現代陶芸の系譜 」

場所 : 京都国立近代美術館で開催中
日時 : 7月30日(火)〜9月1日(日)

  今回は陶芸の展覧会のご紹介をします。現代アメリカの 20世紀後半をテーマにした陶芸展。全体を見渡して、な るほどアメリカが牽引してきた現代アートの流れを感じる こともできる。作品的には、シュールなものあり、コミカ ルなものありで、結構楽しめる内容だ。私は、中でも気に 入ったのが、コーヒーカップの作品だ。4つか5つあるカ ップが、順番にコーヒカップが溶けてゆく様子を作品にし ている(とにかく実物を見てほしい)。 50年代〜70年代にかけては、アメリカのアートは世 界をリードした。実験的な作品や、従来の価値観を脱皮し たものが登場し、その影響は今日でもなお続いている。 この陶芸展は、そんなアメリカの歴史を振り返り、また 新しい時代へのヒントもあるのではないか。20世紀はア メリカの時代だとメディアは語る。それは経済的な動きと 深く関わっていたことは否定できない。そういう意味では、 現状を見る限り、アメリカが世界をリードするよりもヨー ロッパやアジアの時代になったほうが断然面 白い。



  おそらく、21世紀は人間とテクノロジーとのせめぎあ いが様々な分野で見られ、社会はますます加速度を増しな がら進んでいくだろう。今回の「アメリカ現代陶芸の系譜  1950〜1990」は、学習的にも意味のある展覧会で あり、また楽しむこともできた。この夏、京都の美術館巡 りをする方にはぜひおすすめします。





2002年 画人日記(第18回)   「 韓国大衆文化展 」

場所 : 東京 世田谷美術館
日時 : 5月25日(土)〜7月14日(日)

  先日東京で見た展覧会。ワー ルド・カップと連動して様々な 日韓共同のイベントが開催され ているが、これもその一つ。 韓国の現状がよくわかるとて も面 白い展覧会だった。街にあ ふれている生活感漂う雰囲気 が、美術館という空間の中でも 伝わってきた。韓国独特の色彩感覚は日本人から見れば異彩を放っていることだろう。今回のワールド・カップも世界が 圧巻する活躍をしたが、そのエネルギッシュなプレイも、韓国料理のパワーも、どこか共 通する精神が感じられる。この精神が伝統であり、この国の人らしさを際立たせている。



  韓国は常に刺激的で緊張感のある国だと思う。欧米の流行を取り入れながらも、しっか りと韓国の個性を主張することを忘れない。私はこのナショナリズム的な感性が好きだ。 この展覧会場にある作品は、現在の韓国の姿であり、ありのままを見せている。韓国の 都市は、日本の歩んできた道を継承しているようだ。経済的にも豊かになってきて、若い 世代の感性がこの国を変えつつあるように思う。最新のものにも敏感でありながら、韓国 の魂を注入することも忘れない。この辺に新しい韓国らしさを発見することを、今回の展 覧会で強く知らされた。 ワールド・カップというスポーツのイベントに世界の人々が熱狂し、感動した。その主 役は今回、ブラジルでもなく、フランスでもなく、アジアの国であった。2002年は韓 国にとって新しい時代の幕開けの年となったに違いない。





2002年 画人日記(第17回)   「 マグナム・フォト創設55周年記念写真展 」

場所 : JR京都伊勢丹
日時 : 5月23日(木)〜6月16日(日)

  5月下旬から京都で始まった マグナム・フォトの展覧会。テ ーマは「SMILE」。世界中 の人々の様々な微笑ましい姿が 撮られている。被写 体の男、女 の年齢も、若者から老人まで幅 広い層がある。 全体を通してこの展覧会で感 じたことは、撮られている人物 が決して幸福な状況でもないの に、実にすがすがしい微笑みを表現しているものもあるということ。微笑みには、明日に 向かって生きていく希望や勇気、心の強さを表現したいという人間の意志があるからだろ う。日本は物質的にも恵まれていて豊かな国だが、むしろ発展途上国のような国の人間の 方が目に輝きや強さがある。それだけ生きることに真剣だからだろう。日本はすべて情報 によって価値観が普遍的になりすぎ、自分らしい生き方という、これすらメディアの力で コントロールされている。



  こんな写真を見ていると、人間が好きになるし、本当の幸福とはかなり身近な所にある のかも知れないと思う。いったい人は死ぬまでに、毎日微笑んでいられるだろうか。でも 人生はそんなに甘くはない。誰にも様々な事情を抱えながら生きているのだ。 私のアトリエの下の自動車リフォームの工場の人たちは、イギリス、ニュージランド、 オーストラリアなど、すべて外国の人たちだ。微笑みが大切だということは、こうした人 たちとの交流からも体験として感じるのだ。





2003年 画人日記(第16回)   「 ブレイン・フォーラム特集 : 激動の20世紀と混沌の21世紀 」

場所 : 朝日新聞 総合研究センター 
日時 : 4月25日

  昨年9月にニューヨークで起きた同時多 発テロ。以前から私の知人でもある、朝日 新聞の徳山さんは、今年3月テロ事件で半 年が経ったニューヨークに取材をした。そ の模様を下記のサイトで紹介しています。 貿易センタービルのあった現場周辺を一 周するのに半日掛かったそうである。如何 に広大な場所であったかが伺える。徳山さ んが撮影した写真はサイトでは5点掲載し ている。どれも印象的な写 真だが、中でも 半年後の現場での式典で行なわれた、夜空 を貫くブルーのライトを写し出した、橋の 向こう側から撮った写 真がテロ後のニュー ヨークの風景を物語っている様だ。このコラムに掲載している上の写 真は、被災者の写真 が飾られた、現場の一場面である。



  ニューヨークはアートが生活に密着している都市だ。今回の徳山さんのリポートによる と、市内の美術館ではテロ事件を扱った企画展が行なわれていたそうである。この模様も サイトで紹介している。ニューヨークは多様な民族が暮らし、それがこの都市のパワー、 エネルギーとなっている。日本人と違ってアメリカ人はタフだ。だから、今回のような悲 劇にも少しの時間で立ち直ることができたのだろう。星条旗を掲げる市民や、被災者を慰 めたり、希望を与える歌を歌うアーティストたち。21世紀の世界とアメリカはこの事件 をきっかけにより豊かで幸福な道を歩むのだろうか。アメリカの存在と責任は大きい。





2002年 画人日記(第15回)   「 優しい眼差しが感じられる風景 」

場所 / コニカプラザ(新宿高野ビル4F)
日時 / 02/3/2(土)〜02/3/11(月)

  今回はとても素敵な写真を見ることができた。公園や動物園での日常的な風景がものすご く魅力的に撮られていて会場で販売していた写真集も購入。作者はフリーのライターで、仕 事の合間、夕方頃公園などに出かけて写真を撮るらしい。 全作品モノクロで、実は京都の動物園で撮った作品も展示されていた。自然、人間、動物 に対する作者の優しい眼差しが感じられ、おそらく多くの人から好評を得たことだろう。 この作者の写真には、都市生活者の憩いのひととき、また家族の暖かさなどが伝わってく る愛情がいっぱい詰まった写真なのだ。都会人は忙しさの中で、時間に流されがちだが、そ んな疲れた人には「加藤朋子写真展」へ行くべきだった。会場に流れるゆったりとした時間 に心も癒されることだろう。作者の写真を見ていると、自分自身の子供の頃を思い出したり した。こんな風景を自分も体験したからなのだ。



  私は東京出張の1日目に会場へ訪れたが、久しぶりに心が落ち着く時間を過ごせた。会場 で観覧者と話す作者の表情が実に楽しそうだった。作者にとってはじめての個展だったらし いが、この先どんな写真を撮るのか楽しみだ。ところで、東京は確かにビルや高速道路が多 いが、大きな公園の数も多くて、緑も豊かだ。 写真を見ていると生きていることの喜び、希望が感じられた「加藤朋子写 真展」。それは 作者である彼女がきっと生命(いのち)あるものすべてが好きだからに違いない。ちなみに COMMONの意味は、「ありふれた光景」の総称。「すばらしき共有地=公園」。





2002年 画人日記(第14回)   「 医学の臭いのするアート 」

場所 / NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
日時 / 01.12.7〜02.1.14

  新宿、初台にあるNTTが運営するICCに行く。医学とア ートがどのようなかたちで作品として成立しているのか、関心 があった。 私はあまり病院へ通院したことはないが、どの作品にも実際 に使用されている医療器具が作品の要素として組み込まれ、複 雑な印象は感じなくて、シンプルでそれ自体がインスタレーシ ョン作品のようであった。この企画展を一通り見て、人間を取 り巻くこの現実の世界に恐怖感を強く感じた。おそらく作者の メッセージtの本質的な部分がそうであるからに違いない。



  テクノロジーの発達そのものは人間の英知を認めることでは あるが、そのことと人間の幸福とは関係がない。多くの作者は 医学の世界の無機質な美しさ=恐怖を強調することで、人間の 孤独感を引き出そうとしたのだろう。その孤独感の集積がこの 現代社会の姿でもあるのだ。 「メタファーとしての医学 芸術と医学展」は「人間にと っての生命科学の世界とは何か」、この問いかけに芸術的な表 現で答えていた大変意味のある展覧会であった。医療技術の進 歩は人間を幸福にするのか、どこへ導くのか。観覧者の多くが そう考えさせられたに違いない。 この企画展を見て、私はテクノロジーに覆われる21世紀が 現在急速に進展していることを感じた。





2002年  画人日記(第13回)   「 パリの幻想とエロス アントワーヌ・プーペル展

場所 : 東京都写真美術館
日時 : 01.12.7 - 02.1.14

  2002年、仕事で最初の東京出張。その時に見た写 真展の 感想。パリの男性を虜にするダンサーの舞台写真を中心に、現 代的感覚を放つ作品が並ぶ。その表現も、コラージュあり、デ ジタル作品ありで、現代都市の欲望が強く感じられ、完成度の 高いエロスを楽しめた。大島渚監督の『愛のコリーダ』のリニ ュアル版を昨年見たが、時代が表現に追いついた印象を感じた。 この国の芸術的なレベルも当時は低く、エロスそのものを邪悪 に扱い、正当化できなかったのだろう。 2002年、仕事で最初の東京出張。その時に見た写 真展の 感想。パリの男性を虜にするダンサーの舞台写真を中心に、現 代的感覚を放つ作品が並ぶ。その表現も、コラージュあり、デ ジタル作品ありで、現代都市の欲望が強く感じられ、完成度の 高いエロスを楽しめた。大島渚監督の『愛のコリーダ』のリニ ュアル版を昨年見たが、時代が表現に追いついた印象を感じた。 この国の芸術的なレベルも当時は低く、エロスそのものを邪悪 に扱い、正当化できなかったのだろう。  



  プーペルは、エロスの中に潜在する美的なものを充分に表現 し、女性の攻撃性、意志の強さを見事に表現している。我々は 日常生活の中で、エロスという部分を除いては生きていくこと に喜びを感じることはできないだろう。日本は今でもブランド ものが絶好調だが、裏返せば、現代の日本には、文化にエロス の力が弱いのではないか。 私はこの国を官能的な魅力ある国として再生することも大切 だと思う。でも、これは歌舞伎町のような街を日本中に作ると いう意味ではない。エロスをテーマに国会で審議することでも もしあれば、世界中から注目されるに違いない。 このプーペル展は芸術の本質を見せてくれた大変秀作の展覧 会でした。図録もちゃんと買ったので、私は展覧会の感動を再 び楽しんでいます。