2003年 画人日記(第39回) 「 深沢幸雄銅版画展 」
場所 : 伊丹市立美術館
日時 : 2003年 11月1日(土)〜12月14日(日)
主催 : 伊丹市立美術館・(財)伊丹市文化振興財団
2003年12月、会期末が迫った深沢幸雄の展 覧会に行った。会場は兵庫県伊丹市にある。以前か らこの美術館と、ここで開催される展覧会を気に入 っており、会期末とあってか、会場は予想よりも多 い観覧者が作品を見入っていた。
深沢幸雄は銅版画では日本を代表する作家である。 こうした膨大な数の作品を見るのは初めてで、思っ ていた以上に作品は素晴らしかった。
初期から最新作まで、全181点が会場に並ぶ。 それぞれの時代で深沢幸雄の表現もさまざまに変化 する。しかし、そこに流れている作家の魂は一貫し ており、精神性の高い、同時代に生きる人間に対す る眼差しの鋭さを感じることができる。
深沢幸雄は現在79歳。現役である。作家活動の 全体を見渡すことができる今回の展覧会を、本人も もちろん観覧するわけだが、作家個人は作品の裏を 知っているから、当然一般の観覧者とは全然見方が 違うことは言うまでもない。つまり、一つの作品の 製作プロセスを記憶しているから、作品を見ること で、なぜ、そのような表現になったかを再確認する ことと、今の自分ならこの作品はこのように変わっ ていたであろう、ということを感じることができる のである。 全体を一回りしてみて、今回の展覧会は、情報量 の大きい展覧会だと思った。数十年に渡る深沢の作 家活動の展開を見ることで、版画に限らず、表現を 実践する者として指標となるべきテーマを得ること ができたのである。
技法という手段そのものは、イメージする表現によって選択され、その制作体験を元にさ らに洗練され、高度な作品を生み出していく。会場に展示されている作品から、ヒントを得 た作家もいるのではないか。アイデアを盗むというより、めざす表現手段のヒントを見つけ た、というのが素直な言い方だ 。
しかし、深沢幸雄の領域に達するには、並の力では及ばないことも知らされる。才能とい うものは、個人だけのものであって、その人間の生き方を反映するからなのだ。だが、深沢 もいろんなものから影響を受けて、それを見事に作品へと昇華している。誰もが素晴らしい と思う何かから発見や衝撃を受けたなら、その感動は止めておく必要がある。
「深沢幸雄銅版画展」。2003年の最後に見た感動的な展覧会であった。素晴らしい芸 術家としての深沢幸雄を再確認し、数々の作品に触れることができてよかった。
深沢が作家として最盛期を生きた時代は、身体性の時代であったとすると、我々が生きる 現代はビジュアルとサウンドの時代である。日常あらゆるところでこれらの洗礼を受けてい る。だが、そうした中で、身体性の復興も顕著に出てきている。これからの時代は、過去の 価値観に捕われ過ぎていると、表現そのものが停滞すると思う。だから、いい意味での混沌 とした時代が続くように思われる。なぜならば、芸術における表現とは、常に時代の呼吸や 感性を意識しながら創造されていくものであると信じているからだ。
2004年がどんな年になるか、当然誰にもわからない。芸術も、評論家やマスコミの言 うようには動かないのである。というわけで、また2004年にどんな展覧会を体験できる か、大変楽しみである 。
2003年 画人日記(第38回) 「
藤原新也展
」
場所 : 何必館・京都現代美術館
日時 : 2003年 11月15日(土)〜
2003年 12月25日(木)
主催 : 何必館・現代美術館
待望の藤原新也の写真展が京都で開催さ れた。
数十年前、藤原新也はインドへ放浪の旅 に出た。今で言う、「自分探しの旅」のル ーツ的存在でもある。写真と文章とのコラ ボレーションによる時代を鋭く捉える表現 は、常に人々の関心を集め、現代人へのメ ッセージとなる。
今回は、氏の表現活動の歴史を辿れるよ うに、展示内容が構成されており、藤原フ ァンにとって大変うれしいことである。
受付に、今回の記念に写真集とポストカ ードが販売されていて、帰りに買うことに 決めた。
藤原新也にとって、インド放浪の出来事 が、その後の人生に大きな影響を与えたこ とは、氏の著書を読めば分る。インドで藤 原は、“生と死”の真実の姿を知ることに なったのだ。これに対して文明の繁栄を満 喫している国々。たとえばこの日本との対 比によって見えてくるものは何か。
インドにおける数々の藤原の写真家から は、自然と人間が調和を保った風景が見え てくる。決して逆らわず。大きな時空の中 に自らをゆだね、死に対しても肯定的に受 け入れているようである。 文明国の進歩は、生きていることが豊か であることとは、物質的な幸福を求めるこ とを大事とし、生きている今、どれだけ楽 しめるかを最優先するのである。この先端 を行く国がアメリカである。 藤原は、インドを体験することで、自分が生まれ育った国「日本」がリアリティーのない バーチャルな世界を生きていることを自覚した。 インドを訪れた後、80年代に藤原は、キャンピング・カーのような大型車を自ら運転し ながら、アメリカ横断の長期旅行を敢行 。
その体験を元にした著書も読んだが、今回、その 時に撮影された写真も展示されていた。藤原がこの著書で書いていたことで印象的だったの は、アメリカは寂しい国である、ということである。この意味は、ミッキーマウスと仏像を テーマに書かれていた末尾の文章にあった。
今回の写真は、インドをはじめ、アジア諸国、アメリカ、アイルランド、日本で撮られた ものを中心に展示されている。展示会場の最後のコーナーは、久しぶりに氏が訪れた、故郷 である九州の“門司”の風景がある。
買った写真集を見ると、なんか懐かしさが込み上げてきて、どのページからも生と死に関 係する人間の物語を感じることができた。
藤原新也の仕事は、文明の進歩や、様々な人間の営みを通して、現代の世相に見る愚かな 人間の姿を教えてくれる。また人間として大切にしなければならないものも教えてくれる。
最後に、来年春に大丸デパートの東京・京都・大阪で大規模な展覧会が開催されることが 決まった。ぜひご覧いただきたいと思います 。
2003年 画人日記(第37回) 「
田中一光回顧展
」
場所 : サントリーミュージアム[天保山]
日時 : 2003年 11月1日(土)〜2004年 1月25日(日)
主催 : サントリーミュージアム[天保山]
後援 : 大阪府 / 大阪市 / 東京アートディレクターズクラブ /
東京タイポディレクターズクラブ / (財)大阪21世紀協会 /
(財)国際デザイン交流協会 / (社)日本グラフィックデザイナー協会 /
(社)総合デザイナー協会 / NPO法人日本タイポグラフィ協会
東京に続いて、大阪の南港付近にある会場で、 田中一光の回顧展が開催された。私も仕事はデザ イン関係なので、学生時代から田中一光の作品に ついては、好きでよく専門誌で見たりしていた。
「ロフト」「無印良品」など、田中一光の作品 は西武系企業の仕事が代表作の一つでもある。そ ういうことからも、我々は日常、田中の作品と触 れる機会が多いことが分るだろう。
大阪展の展示デザインは建築家の安藤忠雄が担 当した。会場の展示作品は、ほとんどが透明のペ ットボトルで覆われた壁面に展示され、軽やかな 雰囲気が会場に伝わっていた。
初期の作品・ポスター・パッケージ・本の装幀 など、田中一光のデザイン・ワークが時代を超え て強い印象を放つ。シンプルな構成と計算された 色彩の配置。そして自然美との融合。和と洋の感 性が一体化した、スケールの大きさを田中の作品 は感じとれる。 もう一つ忘れてはならないのが、タイポグラフ ィの作品群だ。作品の構成上、文字の処理にその デザイナーの感性が見えてくるものだが、田中の 作品には、変に文字を造形化するのではなく、文 字の本質的な機能を生かすことと、文字に対する愛着があることが、作品から伝わってくる のである 。
安藤忠雄、三宅一生、横尾忠則など、現在も活躍しているクリエイターとの交流も多種多 様で、田中の生きていた同時代が、戦後日本人による文化が世界に認められて行った時代の 証しでもある。関西出身の田中は1957年に東京へ活動の場を移し、商業デザインの場を 中心に活躍した。田中一光はグラフィック・デザインの世界では日本を代表する一人であり、 その功績を見るために、展覧会場には多くの若い世代の来場者があった。
田中は時代と上手く付き合ってきたデザイナーであった。時代が求めている要求をキャッ チし、幅広いアイデアを使って、作品へと昇華した。またデザインという仕事の大切さとし て、遊び心を組み入れることに対しても才能を発揮した。 「デザインとは何か」この大きなテーマを考えるとき、田中一光の作品を見ればその解答が あるように思う。感性のレベルの高い作品でありながら、大衆性も兼ね備えることが、デザ インの重要性であり、それが時代を豊かにすること。田中の作品にはこのように一貫したデ ザインに対する哲学の本質が見えてくるのだ。
田中は、日本の高度経済の繁栄と共に登場し、躍動する社会の中で活気あふれる仕事が出 来た幸福なデザイナーであった。田中の活躍した時代はまだまだ自由奔放な精神が人や社会 を満たしていた。システムは変わり、現代はコンピュ−タを主体としたグラフィック・ソフ トを多用し、デジタル化されたデザインが主流で、これはこれで今後益々面白いデザインの 登場が期待される。
戦後日本が最も元気だった時代。その時代に田中一光が残した、日本のデザイン史に残る 歴史的作品を一堂に集めた今回の展覧会は、日頃デザインの仕事に関係しない人にも見ても らいたい充実した内容である。きっと受けるインパクトは大きいと思う 。
2003年 画人日記(第36回) 「 ハピネス - HAPPINES - 」
場所 : 森美術館(六本木ヒルズ森タワー〔52階、53階〕)
日時 : 2003年 10月18日(土)〜2004年1月18日(日)
会期中無休
TEL.03-5777-8600[ハローダイヤル]
主催 : 森美術館
後援 : NHK、読売美術館、日本経済新聞社、J-WAVE
協力 : SAMSUNG、ディー・エイチ・エル・ジャパン株式会社、日本航空株式会社、
[以下五十音順]株式会社損害保険ジャパン、東京海上火災保険株式会社、
BMW Group Japan、 ヤマトグローバルフレイト株式会社
六本木ヒルズがオープンし、六本木 は生まれ変わった。ここは東京の新名 所として観光地化。世界のTOKYO、 21世紀の東京はここから始まる。
さて、その六本木ヒルズの中心、森 タワーの52階・53階にオープンし たのがこの森美術館だ。高層ビルに存 在するこの美術館は、いろんな面で新 しさを売り物にしている。当館のキュ レーターは専門教育に力を入れ、真面 目に日本の美術館の在り方を見直す努 力もされている。またもう一つの特色 はこの美術館は常設の作品はなく、年 間にいくつかの長期に渡る企画展を行 なう。
そのスタートが「ハピネス」展だ。 ハピネスをコンセプトに海外・国内の 過去現在の作品が勢揃いで、マスコミ の頻繁な紹介もあり、多くの人で賑わ っていた。 高速エレベーターで最上階の53階 へ到着。どんな美術館なのだろうと、 期待感が高まってくる。会場はいくつ かの広いスペースがブースで区切られ ていて、180名ほどの作家の250点の作品が2フロアに展示されていた。
今回見る前、ハピネスというコンセプトでどんな作品が並ぶのだろうか、と思ってい た。実際見てみてかなり自由な捉え方をしていると思い、それと同時にアートというも のから堅苦しさを取り払った演出効果を感じることができた。それはおそらくこの森美 術館代表の森氏の意気込み、思いの強さでもあるのだ。さすが森ビルのオーナー 。
作品を見る観覧者は、公平に作品を見ることができる。セザンヌと村上隆。若冲とピ カソ。違和感を感じる共演が、時代を越えた数々のアーティストの作品が並ぶ中で公平 に同じ空間に存在する。こうしたことが実現できることは、日本の経済力が依然として すごくて、不況という状況は政治に原因があることを示している。
パソコンやインターネットの登場に代表されるように、コミュニケーションの在り方 の変化がそれまでにあった概念や常識を通用しなくさせたことは、アートとの接し方に も関係している。多様な情報の中で如何に自由に生きていくか。アートは作家のメッセ ージを見る側に押しつけてはいけない。受け手の想像力が決めることなのだ。
21世紀の初頭、この美術館は時代を意識したふさわしい企画展を行なった。見る側 に、今度はどんな展覧会をやるのだろう、という夢を与えてくれた。何よりも観覧者が 楽しんでいる様子が成功している証拠だ。芸術はエンタテインメント性を忘れてしまう とダメなのだ。国立とかではなく、森美術館にしかできない企画の展覧会。それがこれ から展開されていくに違いない。
六本木という地理的条件を考慮し、金・土・祝前日は夜12時まで開館。六本木ヒル ズ全体を散策することも考えると、まあ余裕をもって半日はかかるかな 。
2003年 画人日記(第35回) 「 原点復帰―横浜 中平卓馬展 」
場所 : 横浜美術館
日時 : 2003年 10月4日(土)〜12月7日(日)
主催 : 横浜美術館 / 神奈川新聞社 / TVKテレビ
後援 : 横浜市
協力 : 相模鉄道 / 横浜ケーブルテレビジョン / 横浜情報ネットワーク / FMヨコハマ
この秋、大変注目していた展覧会がいよいよスタート。 写真家中平卓馬の初の大規模な個展である。中平卓馬は、 60年代後半から注目され、当時の日本の写真界に衝撃 を与えました。その表現は、今日の写真へと継承される もので、多くの現代写真家の憧れの作家の一人でもあり ます。
この展覧会に、神奈川県在住の中平氏も時々訪れてい るらしく、たまたま私も会場で遭遇しました。大袈裟か も知れませんが、数々見てきた写真の展覧会の中でも、 今回ほど会場に長い間居続けたいと思うことはなかった です。それは作品は言うに及ばず、会場の展示方法が優 れていたからだと思います。60年代〜世紀を越えて今 年まで、中平卓馬の写真表現の歴史を辿ることができて よかったです 。
中平氏は1977年突然の記憶喪失になり、しかし、 以後も創作活動は続けられ、執筆活動と並行しながら新 たな領域に踏み込んで行きました。会場はまずはここ数 年の最新作、カラーの風景写真が展示されている空間か ら始まります。そこには中平氏が自宅周辺を歩きながら 撮影したものが中心に展示されています。次に過去のモ ノクロ作品の空間に移動します。ここでは大きな壁面に 無数に整理して並べられた様々な年代のプリントが一体 となって迫ってきます。一つ一つ個別に見ても面白く、 所々にカラーのプリントが配置されています。 展示作品は約800点。中平ワールドに浸ることは大 変気持ちのいいものである。60年代、70年代の作品 は大変詩的で時代感覚を臭わせるものだが、過剰にメッ セージ性を見る側に与えることはない。それはおそらく 作家と被写体との関係で完結する世界しか作家は求めて いないのだ。ここがジャーナリズム的な写真との大きな 違いである。個人的な作家性を追求し続ける中平氏の試 みは当時とても前衛的でいろんな意味で注目されていた。 殺伐とした60年代〜70年代の表現は影を潜め、今、 中平氏の対象はありふれた自然や人間の表情に移っ ている。これは中平氏が変わったというか、それよりも 時代の空気みたいなものが変わったという方がふさわし いのではないだろうか。
殺伐とした60年代〜70年代の表現は影を潜め、今、 中平氏の対象はありふれた自然や人間の表情に移っ ている。これは中平氏が変わったというか、それよりも 時代の空気みたいなものが変わったという方がふさわし いのではないだろうか 。
会場で図録といっしょに氏の著作の販売もあり、一冊 買ってみた。これが結構面白かった。この作家に関心が あり、深く知りたい人には、氏の著作を読むことをおす すめしたい。きっと中平氏の表現や人間的な内面に触れ ることができると思う。
展覧会は12月7日までやっているので、機会があれ ばぜひどうぞ 。
2003年 画人日記(第34回) 「 究極の美を見たまなざし。没後世界初の回顧展 」
ハーブ・リッツ写真展
場所 : 大丸ミュージアム・心斎橋(本館7階)
日時 : 2003年 9月18日(木)〜29日(月)
主催 : 朝日新聞社、PPS通信社
後援 : アメリカ大使館、(社)日本写真協会、
(社)日本写真家協会、(社)日本広告写真家協会
協力 : Fahey Klein Gallery,Los Angeles
どうにか会期中に間に合った。ハーブ・リッツの写真展はぜひ見たいと思っていた。こ の展覧会は今年7月7日号のニュース雑誌「アエラ」でも紹介されたが、この記事は私の 朝日新聞社の知人が担当していたものだ。
ハーブ・リッツはモノクロのポートレートを取り続けていたが、2002年12月26 日に亡くなった。1978年、まだ無名だった頃のリチャード・ギアの写真が注目され、 一躍有名になる。その後「VOGUE」「Vanity Fair」「GQ」「Interview」「Rolling Stone」 などの雑誌のカバー・フォトを撮り、アメリカン・フォトグラファーの代表的作家となっ た。会場には幅広い世代の観覧者が訪れていた。ポートレートの人物は、著名な歌手、俳 優がずらりと並び、スターのオンパレードである。
ハーブ・リッツの言葉が会場に紹介されているが、モデルとなる人物とのコミュニケー ションにもかなり気をつかっていることが伺える。如何に相手と心を通わせるか、その段 階からすでに撮影が始まっているのである。ハーブ・リッツに撮られることはそのまま時 代の顔であることを意味するのだ。しかも卓越した写真として後世に残ることが保証され る。会場にあふれるスターの顔を見ていると、時代の鏡に向かって微笑んでいるようであ あり、睨んでいるようでもある 。
レンズに映る被写体の内面をどう暴くのか。そのもっとも興味ある部分をハーブ・リッ ツは楽しみながら撮っているに違いない。すべての写真に共通する、優美で完成度の高い 構成、セクシーな表情。そして被写体の持つプライベートな雰囲気だ。先にも書いたが、 こうした写真は、かなり親近感をお互いがもっていないことには、表現できないことなの だ。ハーブ・リッツは人間性においても素晴らしいものが備わっていることが分る。
50歳で世を去ったことは本当に惜しまれる。今回こうして作品を見ることで、偉大な 写真家の業績を体験できることができてうれしく思った。スターはいつの時代も現れるが、 ハーブ・リッツのような才能が存在する時代にめぐりあったスターは幸せである。スター のファンもこうして、その素顔のような場面を見ることができるし、またハーブ・リッツ が撮った写真を見たことがきっかけでファンになる人もいるだろう。
イメージは作られるものだと言えるが、言葉よりも映像で作られるイメージの方が大き なインパクトがある。ハーブ・リッツの写真は強烈にインパクトのある写真というよりも、 被写体の個性を上手く捉える。その見る者が引き込まれるような魅力を解き放つ写真のシ ンボルとしては、会場の出口付近に展示されていたマドンナの写真を思い浮かべる 。
2003年 画人日記(第33回) 「 現代フランス・ポスター展 」
場所 : 京都工芸繊維大学 美術工芸資料館
日時 : 2003年 6月17日(火)〜8月31日(日)
京都市の北区にある京都工芸繊維大学。 ここで8月31日まで現代フランスのポス ター展が開催されているので行ってみた。
この大学の先生が研究の為にコレクショ ンしたポスターが2Fのフロアに勢揃い。 また1Fでは、展覧会とは別の貴重なコレ クションが並び、期待を上回る出会いに感 動!無料で見れるのはさすが国立大学だ。
2Fの会場に展示された作品は、20世紀以後のフランスのアート史の流れが 分るような展示方法で、各部屋に分かれた会場には映画、企業広告、国営の交通 機関などのセンスの高い優れたポスターが展示されている。
私も仕事で印刷物に色の指定をする際に、インク会社から出ている専用のチッ プ(数百色ある色から選択できるもの)を使うがその中に“フランスの伝統色” というのがある。ちなみに日本の伝統色というのもあるが、それぞれ個性的な色 彩が並び、無数にある色から選ぶ側も迷ってしまう 。
この展覧会ではそうした色の感覚にフランスらしさとうものが見れて面白かっ た。またユーモアセンスもなかなかである。フランス人は生活を楽しむことでは 大変いいセンスを持っている。展示された作品の味わいも、個性的で作者の気持 ちが伝わってくる。ポスターの目的は、第一に伝達のスピードである。メッセー ジをいかに印象深く相手に伝えるか。ビジュアル的なセンスによってそれを伝え ることになるわけだが、その極意を感じさせてくれる傑作の数々に出会えたこと がうれしかった。今年見た展覧会の中でも特によかった。
日本人はアメリカやヨーロッパの文化に触れて、アート・音楽・文学などその 影響は測り知れない。もはやそうした魅力的な海外の文化なしではちっとも面白 くない日々であることは間違い無いだろう。 ただ、芸術は人生を楽しむためにあることを、ヨーロッパ人は世界で一番よく 体験している人たちではないだろうか。そして、今の日本に存在する商業主義的 な手法による文化の売り方も、日本人のレベルの低さを感じる。そうしたことが、 アートをしっかりした仕事としてまだまだ日本では成り立たせないことの理由の 一つでもあるわけだ。
それにしても無料でこれだけのものが見れるとは感動でした。国立大学もこれ から大変でしょうが、がんばってほしいものです う。
2003年 画人日記(第32回) 「 24人の新しい写真家登場 FOTO PREMIO 」
会田法行個展[濃密な箱−拍手喝采後楽園ホール]
場所 : 東京新宿 : コニカプラザ(新宿高野ビル4F)
日時 : 2003年 7月18日(金)〜7月28日(月)
出張で訪れる東京で、今回は熱気が漂う写真に出会うことができた。 その写真家は朝日新聞のカメラマンでもある会田法行さん。しかしこの夏、退社を 決意。写真家としての道を目指すそうだ。
会場の壁を覆い尽くす、後楽園ホールの模様。そこには孤独な二人のボクサーと彼 らを応援する観衆たちがいる。TVで見る華やかな世界タイトルマッチではなく、ほ とんどがわずかな声援の中で闘うことになる。
会田さんの写真からは、そんなボクサーのひたむきな姿が感じられ、また周囲の人 たちの思いも伝わってきて好感がもたれる。決して音はしない、がしかしその場の熱 狂が伝わってくるのだ。人間が己の人生を賭けて傾けるものには、美しさがある。T Vで多くの人に見られることも当然彼らは求めているに違いない。でも、写真からは 今その時を、懸命に生きる姿に感動があるのだ 。
後楽園ホールは、格闘技を志すものにとってのメッカだ。会田さんはこの場を何度 も訪れることで、ボクサーと観客の関係を見事に撮り続けたと思う。自らが現場を体 験し、その中でコミュニケーションも深まり、様々な人間を知ることができたからだ ろう。詳しくは知らないが、会田さんが後楽園ホールという被写体で知らされたこと をぜひ聞いてみたい気がする。
試合の観客には、知人や親戚の人たちがたいていは大半を占めるという。写真には ボクサーを勇気づけるそうした人たちの表情も多くある。 どんな場所であれ、人間が生きていくことは闘うことでもある。人間は孤独なボク サーの一面を持っている。後楽園ホールという場所は、我々の人生を物語るもう一つ の世界なのだ。
私はまだ訪れていないが、機会があればこの後楽園ホールに行ってみたい。会田さ んの写真を見て、現場を体験してみたいという思いになった 。
2003年 画人日記(第31回) 「 地平線の夢 」
場所 : 東京国立近代美術館
日時 : 2003年 6月3日(火)〜7月21日(月・祝)
開館時間 : 午前10時から午後5時まで(金曜日は午後8時まで
※入場はそれぞれ閉館30分前まで
主催 : 東京国立近代美術館
梅雨空の下、皇居近くの国立近代美術館で見た展覧会のリポートです。
雨も降り、開館すぐということもあり、観覧者もまばら。大変落ち着いて見れる環境な のでよかった。この展覧会は大変内容が充実していて、現在上映されている映画『スパイ ゾルゲ』の年代とも重なり、昭和初期の歴史的な考察も兼ねて、美術界の当時の現状知る こともできた。展示作品は非常にシュールで、こういった作風は、好きな人とそうでない 人がハッキリと分かれると思われる。おそらく、上映中のゾルゲの映画との連動もあるの で企画されたのかも知れない。
当時は、ヨーロッパではシュ−ルレアリズムの作家が登場し、美術界の革命的な動きが 注目され、日本にもそのニュースは伝わっていた。そして、今回の展覧会はそうした昭和 初期という、日本が恐慌と戦争で暗い時代へと突入した真只中で活躍した画家たちを取り 上げたのだ。
作品には激動の時代の日本をさまざまな表現で展開し、ダリなどのシュールレアリズム の影響が随所に感じられる。時代の動きに挑発させられた若い画家たちも、自らの理想の 世界を作品を通して訴えかけた。当時はまだまだ世界と日本との関係は遠く、アメリカに よる経済的な封鎖で、日本は資源の確保などを目的に東南アジアへの進出を計画した。 この展覧会の画家たちの中にも戦争へ出陣し、命を失った人もいる。先行きの不安な緊 張感のある時代のことを考えると、画家は自身が描いた理想の世界に希望を見い出したか ったに違いない、ということを強く知らされる 。
半世紀が経過し、今回の展覧会で彼らの作品を同時代に見れなかったことを残念に思う。 私のような戦争体験の無いものが見ると、どうしても作品を素直に見れないのだ。彼らに 対して、悲惨な時代を体験したという同情的な思いが起るからだろう。
全体を通して、作風は当時のヨーロッパの影響が強く見られ、どの絵にも共通した雰囲 気や色彩が見られることからも、当時の社会全体が情報を得る手段や、その内容や数も限 られていたのではないかと思う。しかし、まず時代を感じさせる表現、構図的な面白さ、 それと、画家が作品のテーマを追求し続けた結果として、熟成度の高い作品に仕上げてい る。“昭和”という時代を検証する上で、今回の展覧会の意味は大きい。そしてこの“平 成”という時代を生きる作家たちも、やがてこのような企画展に展示されるときがあるの だろう。でもその頃には時代がどう変わっているか。私には見当がつかない。でも、その ときまで生きていられたとても楽しみなことだ 。
2003年 画人日記(第30回) 「 舟越 桂 」
場所 /
東京都現代美術館
日時 /
2003年 4月12日(土)〜6月22日(日)
主催 /
財団法人東京都歴史文化財団、東京都現代美術館、朝日新聞社
協力 /
資生堂 企画協力 : 西村画廊
5月中旬、東京の美術館を皮切りに全国数カ所を巡回する、舟越桂の展覧会に行った。 開館と同時に入ったので人ごみを気にすることなく見ることができた。
舟越桂は、作品の評価、人気とも現代の日本を代表するアーティストである。これまで 画廊や美術館での彫刻作品の発表はあったが、今回のような大規模な展示ははじめてであ る。それ故に大きなニュースとなり、以前から注目されれていた展覧会。実際、思ってい た以上に彫刻作品の展示が多くて、再度舟越桂の造形表現の凄さに感動した。
20年余りに及ぶ作品の遍歴を辿っていけるような展示方法がうれしかった。会場に居 合わせた観覧者も、一つ一つの作品に立ち止まってはしばらく対峙していた。舟越桂は人 間の内面を顔の表情に出して、現代人というか都会で暮らす住人の精神を表現しようとし ているように感じられた。おそらく、その選ばれたモチーフとしての人間は、舟越桂の知 人もいれば、個人的に感心を持つ人物もいるのであろう。そして、対象はすべて愛すべき 人間として存在している。このことは舟越桂が表現するモチーフの一貫したものであると 思う。決して強い人間などこの世にはいない。大きな樫の木から削られたり、彫られたり しながら生みだれた作品には、作者のそんなメッセージがある。多くの人が舟越桂の作品 に魅力を感じるのは、自分自身の内面の心理を、一体、一体の作品から察知しているから なのだ 。
時が経過し、舟越桂の表現は変わっていく。顔が擬人化してきたり、胸の部分が山の様 になってきたり、自然との融合、自然と人間の深い関係性を表現することを目指している。 2003年つまり今年の最新作品には、鋭さが加わり、病的なイメージを連想させるもの も出てきた。
不安定な精神性を抱えながら生きている人間。舟越桂が仏像に惹かれるのは、人間とは 対照的な仏の世界を知ることで、より深い眼差しを人間に向けることを考察しているので はないか。会場には作者の制作上のヒントや芸術観を書いたメモ書きのようなものが多数 展示されている。作者の制作の裏側が見えてくるようで大変面白い。
また、彫刻作品のための習作として制作された版画やデッサンも展示されている。ここ 数年の本の装幀ではじめて舟越桂の作品を知った人も多いと思うが、今回の展覧会で実物 の作品に出会った経験は、観覧者に作品の持つより深い印象と存在感を与えたことであろ う。これから先、舟越桂の心の変化が、人間観が作品にどのように影響していくのか。
今回の展覧会はこの後、東北や西日本にも巡回し、全国の美術ファンを魅了することは 間違いない 。
2003年 画人日記(第28回) 「 篠山紀信 写真展 」
場所 / 東京国立近代美術館
日時 / 2004年 3月23日(火)〜5月16日(日)
場所 : KPOキリンプラザ大阪
日時 : 2003年 3月4日(火)〜4月13日(日)
主催 : KPOキリンプラザ大阪
協賛 : SOPH.Co,Ltd. 協力 : 小学館、Composite,プロラボクリエイト東京
プロデュース : 立川直樹
企画編集 : 菅付雅信
企画制作 : パルコ
久々に大阪キリンプラザで篠山紀信の写真を見た。もっと早く行こうと思いながら、い つのまにか最終日になってしまった。この会場は独特の雰囲気を醸し出していて、年月が 経っっても色褪せない斬新さを放っている。
ホームページに掲載しているチラシの画像はモノクロだが、実際はカラー。会場には全 て8×10カメラという大型カメラを使って撮っている。写真自体が大きな生命力を感じ させる。篠山紀信は六本木ヒルズのオープンに関連したインタビューで「東京は常に変貌 を遂げている」と語っていた。その篠山がこの東京を撮るという行為にはどういう意図が あるのか、知りたいとという欲望が沸いてくる。
決してそれは高層ビルが立ち並ぶ風景を撮るということではなく、有機的な人間が存在 する生きている都市の姿を撮る、ということであったと感じた。篠山は巨大な証券取引所 から怪し気なSMクラブまでカメラを持ち込む。会場全体を通して、東京という国際都市 の断面を見たのかも知れない。東京を巨大な欲望の果実とすると、それを2つに切った断 面。そんな光景が巨大写真になって現れたようだ。
東京は、常に悲しんでいる暇はない。いかなる悲しみが起きようとも、欲望を生み出し ていく、どこまでも快楽を求め続ける装置なのだ。もはやニホンの東京ではなく、世界の 東京としてのプライドみたいなものが企業家にも住人にもある。
篠山紀信は90年代以後、それまでにはない東京の姿を見るようになったという。
今回の写真展では、その変貌した東京を大胆な手法で撮り、芸術写真というよりも報道 的な意味の強さも意図的に表現されていると思った。
快楽とは対照的に、画像から感じる被写体としての人間たちの裏側には、東京いう空間 の恐さと寂しさの入り交じった中で、孤独な人間がつかの間の生を満たそうとして、様々 な手段でコミュニケーションを模索し、自分という存在を意識しようとしているのではな いか。
私は篠山紀信のこの展覧会を見て、未来へ向かう強い意志をメッセージとしてもらった 気がした。日本で断然刺激的で面白いのはこの東京だ。そうも篠山紀信は語りかけている ように思った。
東京をテーマにした写真集は多いが、篠山紀信が見せてくれたこの巨大写真は、映画の 一場面をクローズアップしたようでもあり、ドラマ性のあるものとして印象に残った 。
2003年 画人日記(第27回) 「 現代美術の展望−新しい平面の作家たち 」
場所 :
上野の森美術館
日時 :
2003年 3月14日(金)〜3月30日(日)
主催 :
「VOCA展」実行委員会 / 財団法人日本美術協会・上野の森美術館
協賛 : 第一生命保険相互会社
上野でVOCA展を見た。VOCAは、ジャーナリスト、キュレイター、画廊オーナー などによって推薦された40歳以下の作家の作品が展示されている。今年は10回目とい う一つの節目の年となった
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現代アートの新しい芽が会場に溢れる、毎年関心の高い展覧会として定着してきた。今 回感じたことは、日本の美術の流れが、90年代以降現れてきた新世代の作家が、20世 紀を脈々と流れてきた現代アートの価値観とは違う、自由な視点による表現が勢いをつけ ているということ。おそらくこれから数年はその潮流が成熟へと向かうプロセスになると 思う
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展覧会全体的には、作品の中に、対象を見つめる姿勢がクールで、表現はシンプルとい うものが多数あった。対象に対して融合するのではなく、作家たちは目の前に存在する 「対象」となるものや、「社会」との関係を自由にしながら、より精神性の高い作品を形 成しようとしている。作家たちは混沌とした社会や、自己の内面をいかにオリジナリティ のあるものとして表現していくか。模索していることに違いない。20世紀は定番といえ る思想、経済的な価値観があったが21世紀は“混沌の世紀”だ。だからこそ芸術家はや りがいのある時代だと思う。
VOCA展と関連したこととして、私は21世紀は「コミュニケ−ション」がアートに 限らず、大きなキー・ワードであると思う。新世代の作家たちは大半が美術系の学校出身 者なわけだが、人生という大きな時間の中で、自分が表現したい作品を生み出す上で、学 校で学ぶものの影響力は大きい。私自身が今も20代前後の時期に学んだことの大きさを 忘れてはいない
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今、ある音楽に関する本の企画の仕事をしているが、編集者がミーティングのときに言 っていたことだが、作家は処女作が一番いい出来栄えだということ。その作家のあらゆる エッセンスが凝縮されているから
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VOCA展は毎年この時期に東京の上野の森美術館で行なわれ、残念ながら京都ではお 目にかかれない。ぜひ関西でも開催してもらいたいと願望する
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2003年 画人日記(第26回) 「 平成14年度[第6回]文化庁メディア芸術祭 」
東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)
主催 : 文化庁メディア芸術祭実行委員会
デジタルアートとマンガ ・アニメーションによる文 化庁主催のイベントが東京 で行なわれた。
2フロアで展示され、内 容は大変面白く充実してい た。日本のデジタルアート のエネルギーが伝わってき て、観覧者もアミューズメ ント・パークにいるような 感じで楽しんでいる様子だ った。
10年前だと、まだまだ 携帯電話やインターネット も日常的にはなっていなか ったが、その後の加速度的 な勢いはみんさんも御承知 の通り。ニュ−メディアの アートの展覧会も、そんな 社会状況を反映して高いレ ベルでの作品が発表されて いる。もはや我々のコミニ ュケーションはデジタル的 な要素を無視しては成立し ない。
今回の展覧会 では、それぞれの作者が楽 しんで制作している様子が 感じられ、しかも作品の内 容の濃さもあり、それそれ が個性的な作品で大変よか った。
アートには楽しむ、遊ぶ ということが大切である。 日本のアートもそういう意 味で、デジタル世代の登場 はこれからどんなユニーク な作品を表現していくのか、 大いに期待したいと思う。
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展覧会では入賞作品が勢 揃いし、作者もプロから学 生まで実に幅広い人が参加。 海外からの参加者もあった
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社会に大きな革命をもた らしたデジタル化は、情報 の合理化、スピード化を実 現させ、新しいビジネス環 境を形成した。こうしたデ ジタル化されたアートを見 ていると、この先明るい未 来が待ち受けているような 気がしてくる
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発表した作者にはまだま だ面白いデジタルアートや マンガの未発表のアイデア があるのだろう
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まだまだ序の口。デジタ ルやマンガが世界をもっと 面白く、元気にしてくれる に違いない。
2003年 画人日記 (第25回) 「 高梨豊写真展 」
photographers'gallery
2003年1月10日(金)〜2003年1月31日(金)
東京都新宿区新宿2-16-1-401
今年最初の画人日記は、東京新宿のフォト・ギャラリーで見た、写真家高梨豊の 展覧会。このギャラリーは新宿2丁目の雑居ビルの4Fにある。高梨豊は、60年代 以降、コマーシャルやファッション写真の仕事をしながら、写真家としても充実した 活動を展開している。戦後日本の都市の姿を独自の視点から捉え、都市をテーマにし た写真映像に新しい道を切り開いた。その代表としては、1966年『カメラ毎日』 1月号に掲載された〈東京人〉は多層的な都市の構造を、写真とテキストによって浮 かびあがらせようとする意欲的な試みである。
今回の展覧会では、広大な自然が広がる農村風景を中心にした新作がモノクロで展 開されている。過去にも高梨豊は日本各地の風景を撮ってきたが、今回は〈青春18 きっぷ〉を使い、在来線の車窓から再び日本各地の風景を捉えている
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その無愛想な感じのする作品に、どこかで見たことのある、ほのぼのとした風景を 思い出すのだ。高梨豊は、あまりにもありふれた風景を写し出すことで、現代都市か ら忘れ去られた農村の姿に、本来の人間的な表情を写し出そうとしたのではないか。 そして付け加えるなら、そこに日本的な感性が含まれていると思う。
電車の車窓からは、一人の人間の眼を通して客観的に風景を見、シャッターを押し たということが推測される。この行為は、長い年月を経て高梨豊の意識に変化の現れ を感じることができる
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中平卓馬、森山大道らと共に、私は共通するものを高梨豊に感じる。 これらの作家はどこどこまでも人間的で、その人間的という部分が、見るものを掴 んで離さない。都市が洗練され、農村の空疎化が進行することは事実である、がそこ に人間が存在する限り、時代は変わろうが発散される空気はそれらを取り囲む風景と 共に、やはり人間臭いものが出てくるのだ
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2003年、この1年の始まりの年に私は気持ちいい写真に出会えてよかった。